名古屋の白ウサギ・1964年生

自称・宗教家・・宗教家とは職業ではなく「私の生き方」です。
職業・会社員、投資家  趣味・偽善事業

寛大を装った不誠実

2022-02-16 | 出来事


朝、通勤途中・・追突されました・・

赤信号で停車したいたら、後ろでゴツン・・

鈍い音・・・

子供が足でバンパーを蹴とばした位の微弱な振動。



後ろを振り変って初めて状況が分った。

4tトラックが私の高級車に追突した模様・・

すぐに車から降りて様子を確認。

トラックの運転手もすぐに車を降りて来た。

運転手は開口一番・・
  すみません!!!! 

私は冷静な口調で言った・・・
「車を安全な場所に動かしましょう・・・」

ここで逃走される可能性があるので、
念の為に相手のナンバーを記憶した。

前を走り、トラックを誘導・・脇道に車を移動させた。



たいした被害ではなかった・・
私の高級車のバンパーの塗装がホンの少し割れていた。



私はトラックの運転手に怒らずに冷静な口調で申し上げた。

たいした傷ではありません・・・
お互い運が悪かっただけです。

責任は問いません・・・
以後、気を付けて下さいね。

トラックの運転手・・・
キョトンとした顔で私を眺めて言った・・

「いえ、そんな・・・私が悪いので・・・」

私は念を押した・・・
「100%過失を認めますね??」

トラックの運転手は答えた
「はい、もちろん」

私はニッコリ笑って申し上げた、
「運が悪かっただけです、水に流しましょう」

その場を去ろうと車に乗り込んだ。
運転手は深々と頭を下げていた。



告白します、私は決して「良い人」ではありません。

合理的に考えただけのことです。

 ホンの少しでも、私にも過失があるなら、
傷の大小を問わず
警察に届けて修理代金を相手に請求します。

この場合、想定される危険性として、
相手は、その時は謝っていても、後になって入れ知恵されて、
「いや、私が被害者だ、賠償せよ」
と言い出す可能性もある。

 今回のケースは・・ 

1・相手は非を認めて謝っている。

2・私に過失はない。

3・車は道具だと思っている、少しぐらいの傷は気にならないし、
修理するのもメンドクサイ。

4・警察に届けたり、保険の手続きをしたり・・
多くの時間を無駄にする。

以上の要素から勘案するに・・

この場合、相手が非を認めるなら、
赦して、水に流したほうが私にとって損害は少ない。

相手が屁理屈言い出したら戦うけど・・
素直に謝っているのだから・・
こんなことで怒る気にもならない。

即ち・・・「自分にとって一番楽な対応」
をしただけのことある。



されど、深く考えれば・・・

ここで怒ったほうが相手に対して親切だっかも知れない。

ひょっとしたら・・・

相手は軽い追突の常習者であったかも知れない。

 
私は運が強いから・・・すこしぐらい、
何とかなる・だろう・・
  

と・・・考えて今までやって来た人かもしれない。

トラックの運転手の責任を徹底的に追及していれば、
相手は、これに懲りて、
以後、二度と事故を起こさないかも知れない。

私が甘い顔したばかりに、この人は
「俺は運が良い」などと妄想を描き、
また事故を起こすかも知れない。

「私は徳を積んでいるから、事故を起こさない、
もし、起こしても神様が助けてくれる。」
などと・・・
寝ぼけた屁理屈唱えているひとかも知れない。

私のせいで将来、笑って済まされない
重大な事故を起こすかもしれない・・・

もし、そうなったなら、「あの世」の尺度でみれば、
私にも大きな責任がある。

以前、ある男との関りに於いて、
於いて、怒ることから逃げていたばかりに、
最終的には決別、苦い思いをした経験がある。



怒るべき時は真剣に怒る・・・・・

これが誠実な対応であるかも知れない。

少し反省・・・でも・・・やはり、

「煩わしいことは避けたい願望」
が深く根付いている。

 怒るべき時は、怒る。。。 

これが相手に対して、誠実な生き方なのかも知れない。

「 寛大を装った不誠実 」

治さなければ・・・

精進、精進・・・















コメント
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