
神仏を信じる・・
神仏に何かを求める・・・
徳を積む・・・???

神仏を「信じる心」とは・・
神仏に対する、「疑いの心」の裏面。
「太陽は明るい」・・・
信じる必要はない。
なぜなら・・・「それを疑っていない」からだ。

親鸞聖人は・・・
「信じる者は救われない」・・
このような趣旨の言葉をよく宣われた・・
最近・・・その意味が実感として身に染みる。

信じなくても救われる・・・

南無阿弥陀仏・・の言葉の本意は・・
受け身の思いを込めた言葉であると思う。

「信じる」「信じる努力をする」「信じているフリをする」
この思いの背後にある「本心」は・・
ある意味「駆け引き」である・・
その想いの前提には、「要求」があるからだ。

「自分に対する不満」ではなかろうか???



悪あがきしません・・要求は辞めて・・降参します・・・

親鸞聖人の説いた仏教の本義とは・・・
こういう事ではないだろうか???