最近、仕事で関係する人物のことで
かなり頭に来ることがあった。
ある人物・・ℤさん
私に対する
理不尽な仕打ち・・・
こういう場合・・・
ℤさんを恨んだら・・
私が損をする。
事の善悪などあまり問題ではないと思う。
どんな理由があろうとも・・
恨み、憎しみの念は自分を蝕み、
自分にとって大きな損失を発生させる・・
これは、
善悪論とか、道徳論とかは別問題。
自分が正しい・・
相手か悪い・・
などという「判定」とは無関係。
理不尽であるが・・
憎み、恨み・・の念は自分を蝕む。
想念が自分の思考(運命)に与える副作用でもある。
即ち・・・
憎しみ・恨み・・
の念を持ち続けることは、
自分にっての損失
これは難しい問題ではない・・
自分にとって
損か?
得か???
ただ、それだけの問題。
ℤさんの横暴・無神経・横暴な所業に対して、
私が強い恨みや、憎しみを持ったなら、
私から見て、ℤさんが加害者であり、
ℤさんに非が有るにも関わらず、
私が損をする。
これを私は
心の二次災害
と呼んでいる。
初めの災害はやむを得ない、
こう言うことは、
人間社会に於いて、
必ず起きる。
初めの災害で留めておけば、
これが
最善
この災害に対して憎み・恨み・の念を持つと
二次災害
この、二次災害を避けるための知恵
(方法論)こそが大切であると思う。
相手が悪いのに・・
自分は何も悪くないのに・・
自分の心が
二次災害 という
不利な選択をするのは、
損である・・
あくまでも、
損得の問題と思っている
善悪など・・
極めて不確定な要素である。
何が善で、何が悪なのかは
人と・時と・場所
によって反転する。
善人ほど重大な罪を犯すこともある。
この辺が・・「業」に関わる
「因と縁」が織りなす
不可思議な世界。
私の場合、
二次災害は損と思いながらも・・
忘れることができない人間が一人だけいる。
この男、悪い人間ではない、
善人??ではあるが・・
個人的な心情として、
許せない・・
こればかりはどうにもならない・・
自分の選択として、
二次災害を被るだけである・・
「深く考えない」「難しく考えない」
それ以外方法はない。
それに成功したとき、
笑い話になるかもしれない。
ℤさんのことは、
しばらくしたら忘れると思う・・
ℤさん以外にも、
過去においても、他にいろいろ
ひどい目にあったこともあるが、
前のみを向いてれば、
先に述べた一つの例外を除き、
自然に忘れることができた。
「忘れたとき」とは・・
いまとなっては笑い話だ・・
と思えるときです。
難しく考えても無駄・・
考えれば考えるほどℤさんのことが
脳裏に刻まれ、「二次災害」を引き起こす。
すなわち・・馬鹿になるしかない。
馬鹿になるのもテクニック。
馬鹿になる呪文は・・・
バカボンのパパが教えてくれた。
これでイイのだ・・・