あの人の根性は曲がっている・・・
あの人はモラルがない・・
あのひとは金の亡者だ・・
あおのひとは素行が悪い・・
あのひとは、多くの人から恨まれている・・
あの人は、義理も人情もなく、冷血な性格だ・・
だから、あの人は犯人だ!!!
逮捕されて、裁判で
有罪になっても当然だ!!!
このように思うこともある。
心情はよくわかる・・
されど、残念なことに、
この論法や思考は
「社会の秩序を乱す」思考である。
文明社会に於いて一番大切なことは、
事実確認
事実がどうであったか?
(科学的思考)
これのみが問題であり、
そこに道徳論や
私憤が関与してはいけない。
この秩序を守ることが
文明社会が最善な形で
存続するための「原則」である。
「その事実」が証明できないなら、
無罪となる。
証明できないからと言って、
潔白であるとは限らない。
「事実は誰にも分からない」
が答えである。
一番肝心なのは
真実
真実は神のみが知る
真実を追求することが宗教領域
されど、神は人を裁かない。
神様は「民事不介入」
殺〇を行ったか?
行っていないのか??
それは裁判という名の
「この世の尺度」
で測られることである。
彼女は冷酷無常
ではあることは確かだが、
「殺〇はしてない」
もし、これが事実なら、この場合、
「この世」での法律的には無罪である。
この「秩序」は守らなければならない。
この世の尺度(秩序)と、
あの世の尺度を混同してはならない。
これは、私が常々主張している宗教論と
同じ構造の理屈である。
「科学と宗教を混同してはいけない、
お互いの領域に踏み込んではならない」
「この世」のルールで「無罪」であったとしても、
その判定と無関係に、
彼女には
宗教で云う「因果報応」の原理が作用する。
現に、作用している。
その結果が「彼女の現状」である。
因果は螺旋状に展開する
彼女が、死亡した配偶者に対して吐いた捨て台詞
クソ
この一言に、全ての「真実」が表現されている。
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