ファン・ジニ ~真の舞人~

2012-07-20 15:00:00 | ドラマ/映画/ドキュメンタリー
 女楽・行首(ヘンス)を決める戦いが始まった。ライバルのプヨンとチニ。この2人のどちらかがその座につく。

 選ぶのは各地の行首であり、才能のあるキーセンだ。
 
 プヨンはそれぞれの教坊(きょうぼう)を訪ね、それぞれ特に舞を習う。
 舞は見慣れたものにこそ判るものというのが彼女の考え方だ。
 チニは舞は自然を表現したもの、教わるのは自然。

 そして市場で踊るが、えらい学者に
 「なんだ、娼婦か、酒売りか」
 と言われ、何故そう思うのかと問う。

 舞を見せているというそれが、おごりであり、それが間違いだと諭す。

 彼女は自然の中で暮らす人々に混ざり、生活を共にし、その中で踊る。


 そして勝負の日。

 プヨンは新しい舞を舞う。それぞれの行首に習ったから、彼女らの覚えもいい。
 遅れて飛び込んでくるチニは、百姓のような綺麗な格好ではない。しかし、舞は舞で魅せるもの、着飾ることではないとそのまま舞う。

 舞はチニの方が優れ、人々の心を動かした。


 突き詰めると哲学になっちゃうのね。


 古代哲学であれば、生とはなにか、死とはなにか。何故美しいものを見ると美しいと思うのか。
 何故、目の前にあるカップをカップと思うのか。

 これは全て哲学だ。

 舞もまたそうなのだ。

 チニが求めるのはそれなのだ。

 そして人々の心に感銘を当たることと答えを出す。



 しかし、勝敗はプヨンの勝ち。
 プヨンは自分の負けだというが、今まだ行首にある師匠は諭す。

 行首は行首は後輩を育てることも仕事だ。なにより最初にチニの才能を見つけたのはプヨン、お前だという。
 これから自分より才能のあるキーセンが出てきても嫉妬することなく拍手で送り出してやれと告げる。

 チニは舞人だ。舞人は待って行けばいい。


 教坊に収まりきれない器の大きなキーセン、舞人のチニは市場で舞う。人々と共に。
 残りの生命が尽きるまで。舞い続ける。

 
 芸に生きるとは哀しいことだ。
 しかしそれしかできない者もいる。

 そしてそれがその者にとって幸せなのだ。


 

産まれることは全て奇跡のたまもの

2012-07-20 13:09:24 | 日記風
 前もちょっと書いたことがあるんだけど、人工授精で子どもに恵まれない夫婦にも子どもを得られる機会が与えられた。それから約25年近くたつのだろうか。

 しかし、心配してたそうだ。


 人工授精で生まれた子が自然妊娠をすることができるのか。



 花などがそうだが、人工交配で生まれた花は自然に子孫を作ることができない。
 人が交配を手伝う。交配ができず、接ぎ木で増やして行く。


 あのソメイヨシノでさえ、接ぎ木でなければ増やすことができない。

 あそこまでソメイヨシノが広がったのはあくまで人々の努力のたまものなのだ。



 だから、人間も果たして自然妊娠ができるかどうか、それを心配されていた。


 数年前、自然妊娠で出産できたというニュースが流れた。

 それを聞いて、初めて、人工授精を産んだ医師たちはずっとそういう形で産まれた子どもたちを見守り続けていたんだなと知った。


 それほど難しいことなのね。

 一旦できたから、どんどん自然に増えていくものじゃない。


 動物でも人が手を加えないと繁殖できないものがいる。


 人間もそうなったら意味がないわけだ。



 そう思うと神の作りしたもうものは、凄いことだと改めて思う。


 奇跡のようにできたように見えて、何度も何度も時代に合わせて変化し、残って来た動物たち、人間たち…。


 これは凄いものだ。

 その凄いものが地球にはたくさんいるのだ。

6際未満男児の臓器移植に、危険信号が出たぞ

2012-07-20 13:00:00 | ニュース
 先日、富山大病院6歳未満の男児の脳死で臓器が移植されるということがあった。

 そのときは美談として伝えられたが、なんか出てきちゃいましたね。



 元々、18歳未満の臓器提供には必ず確認しなければならないことがある。

 つまり、虐待死ではないというかを確認しなければならない。

 それが、児童相談所に確認をとったところ、個人情報だということで回答を断られたのである。


 ちょっと…それが…。


 6歳未満の男子は6月初旬に低酸素性脳症と診断された。
 脳に酸素が十分に行っていない。それによって機能が失われるというものらしい。
 医師の口から 脳に重大な脳障害を起こしていると言われ、両親が臓器提供に踏み切った。
 
 そのときは虐待はなかったとなっていたのだ。

 しかし児童相談所に不自然な外傷、これまでの虐待の有無を調べたが、個人情報なので…ときちゃっていたことが判ったのだ。
 一旦はないと判断されたが、今になって、いろいろなニュースを受け、児童相談所の曖昧と言える答えに

 もしや…がでちゃったのだ。


 もし、虐待があったなら、絶対に移植対象ににはならなかったのだ。

 しかし移植するとなると、臓器の状況を保つ、移植のプロセスなど時間との戦いがあり…もちろんしたあとも拒絶反応がるわけだし…そこまで頭が回らなかったのね。

 でもここへきて、移植状態も落ち着き、事件の余波を受けて再度浮上しちゃった形だ。


 そうでなかったことを祈りたいが、こればかりははっきりした回答が出ないことには、判らないというのが本当だろう。