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名取市の海岸に残った防風林を見ると、震災の津波の映像がよみがえってくる。この辺りは田畑だったが、今回の見学会の会場である名取市斎場近くに進むと、瓦礫が撤去され建物の基礎だけが残っている空地が広がっている。
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海岸近くに有りながら、建築の際に築山や盛り土をした事、躯体のRC造が丈夫だった事、設備の盤系統が2階部分にあったために、震災後2週間後から稼働する事が出来た施設である。
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被害は無かった訳ではない。施設を取り巻くRC造の塀はあっけなく倒れたそうだ。施設の中には、どうやってこの丸太が入ったのか判らないほどの大きさの瓦礫もあった。焼却釜の会社では、震災後すぐに修理を開始し、土葬しなければならなかった遺体を火葬することが出来た。その数も尋常ではない。そこで、新たに斎場を建築するのではなく、被災した建物を再生する事にした。そこには、名取市長の堅い意思があったと言われている。
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当初の設計と今回の再生を担当されたのは、建築家の針生承一氏である。道路もままならない被災後に、調査で斎場に到着した時、生き残った3名の方々が先生に近寄って「お蔭で助かることが出来ました。」と告げたそうだ。
津波があった3月11日は友引で、一般の葬祭は行われておらず、動物葬が終わって自分達だけになり、築山で波を見ていて襲われたそうだ。すぐさま施設に戻り、波に飲まれながらも梁にしがみつき、幅30cmの梁の上を這いながら移動し、2階の屋根に逃れたそうだ。
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渡り廊下は流され、新たに作られた。コンクリートの塀は、木の板塀に変身した。
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屋上から眺めた中庭。
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全てが流された訳ではない。津波は川を上り高速道路で止まった。
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川の北側は被災を受け、南側の川の土手近くの家は被災を免れた。
斎場で倒された塀は20cmの厚みだった。コンクリートで作られた防波堤は津波で流される。土を盛った築山は流れを変えることが出来る。津波を防ぐには防波堤では駄目なのだとする針生先生の根拠である。しかし政府が復興を行う時に、莫大な予算をかけての土建業者のパラダイスになる可能性が大きい。復興は誰の為なのか。
昔(昭和50年代の中ごろですが)、仙台に5年ほど住んでまして、当時の宮城沖地震もモロに経験しています。机の上に置いてあったTVがズリ落ちて来たのを慌てて抑えようと思ったら後ろの本棚が引っくり返った・・・・とか。
話が脱線したんで、話を名取市に戻します。実は、仙台に居た頃、ヒマな時には原チャリであちこち走ってました。
その中で、仙台市バスの「閖上」行きというのがあったもんで、どこにあるんだろう、って探してみたところ、名取市にある閖上(ゆりあげ)というところでした。
当時、庄内砂丘の高~い砂丘を見慣れていた自分にとって、松林はあるものの、海からあまり高低差の無い地形を見ながら、海に出るのに山が無くていいなぁ~。でも、少し大きな津波があったら、大変だろーな。って思っていました。でも、「貞山堀(ていさん
ぼり)」があるから、そこで止まるやね、て結構軽~く考えてました。(宮城野区の荒浜・深沼も同じような雰囲気でした。)
災害は「想定外」の事態が引き起こすものですけど、想定するにも限度はあるんだと思います。このへんが非常にムツカシイんだと思いますよね。
、
三陸のリアス式海岸で、高さ30mを超す津波がバリバリと音を立てて建物を飲み込んでいく様は、この世の物とは思えませんが、平たい地形で松林をなぎ倒してやってきた津波は、近づくまで見えない恐怖がありますね。
今回、針生さんに、「川の堤防の脇は助かった。水は流れる方向を決めて動かしてやれる。」と聞いて、磯場と砂浜の違いとでも言うのでしょうか、自然はヒントを与えているんだと思えました。
仙台を含む東北の太平洋岸は、必ず30年に一度地震が来ます。ソフトでもハードでも、記録を残して行きたいですね。
ランキングサイトから来ました。
東北情報を探していました。
できたての拙いブログで恐縮ですが、
リンクさせていただきましたので、
ご挨拶に伺いました。
うちのブログは甘口かもしれません。
更新をお待ちしています。
よろしくお願いします。
私のブログは、個人的な意見の元に勝手に書かせていただいています。
これからもよろしくお願いいたします。