5月4日、午前中からダラダラと出発し、寄り道をしながら南陽市文化会館に向かおうとしていた。何の準備もせず、まずはその場所はどこかな?と言ったレベルで、ノートパソコンをいじっていたら、Sさんから電話が入った。自分も行く予定なので、一緒に車に乗せてくれると言う。v(^ー^) 11時頃に車に乗せて貰い、走りながら「他の人はどうなの、Nさんは行かないかな。」と聞かれて、電話をする事にした。NさんはOKだと言う。本当に急な話でゴメン。
行き当たりばったりの道中で、国道112号線から朝日町に入り、ワイン城に寄り道をする。昼前から色々ワインの試飲をして、お気に入りの瓶を買う。ここでは季節限定や品評会で賞を獲ったワインが、自分勝手に試飲し放題な「太っ腹のワイン工場」である。つまみ・試食のチーズもあるし、もう充分に酔っ払える。
お昼は、白鷹の鮎茶屋と考えていたが、国道から見おろす駐車場は隙間のないほど一杯で、大勢の人だかりと、店の前では揃いの衣装を着けた踊り子達が舞を舞っていた。これでは入るのも昼食も無理だろうと、先を目指す。
白鷹の産直「どりいむ農園」でも、店先にテントを張り、何やら串に刺された魚などを焼いていた。その農園と並んだ看板に、蕎麦の字が見えた。「土里夢工房・宝思そば」なんだが、道路沿いには店は見えない。看板には「手前・奥」と場所が書いてある。手前なのか、奥なのか、いったいどっちなんだい!!
そちらも混んでいて、店先のベンチに座り予約の紙に名前を書き順番を待った。蕎麦がメインで、天ぷらはすでに売り切れだった。もっともシンプルな宝思そばを注文する。美味い!
長井でも寄り道をした。巨木古木の久保桜である。もうすっかり葉桜になっていた。樹木の形も、以前に観た時より小さくなった気がする。地元の人達は、こうなるのを良く判っていて、保護したり治療したりと続けているのだが、すでに幹が空洞になり、近い将来消滅するだろうと考えている。それで、このエドヒガンの桜の2世を近くに育てていて、代替わりをしながら「久保の桜」は受け繋がれて行くのだろう。
その近くで、モッコモコな姿で動いていた、黒いでかい毛虫。
さて、話は変わって、目的地の南陽市文化会館に着いた。開場は16:00からだが、悠々時間前に着いた。それなのに行列である。本来なら、この新しい建物を色々な角度から撮したかった。列から離れたらいけないかのように並んでいたら、ずっと前方に、H先生の姿があった。
この建物は(株)シェルターの施工で、木造大断面で出来ている。ギネスブックでも木造の文化会館として認定を受けた。このロビーの柱の太さはどうだ。勿論、特殊建築物の耐火建築物ゆえ、木造大断面でも内部に石膏ボードのような耐火の材料を入れたサンドイッチ方式で、燃え代設計まで行われている為、丸々木材ではない。
この柱がエンタシスな膨らみがあったら、地中海の辺りの遺跡も連想出来る列柱なのだが。
ベンチがうね~うね~と波を打っている。低い所に座るか、高い所で耐えられるか。
ただ気になったのは、ホワイエも含めて柱は木質をそのまま表しているのに、梁の部分がどうもクロスの様な張り物仕上げになっていて、のっぺりさが否めない。
大ホール内である。ここも壁は木質で出来ている。
これは一番後ろの吸音部分。
舞台の上部。
両サイドは、質量の違う木材を、タテヨコも含め、張り方を違えて反響を考えている。劇場の設計は、何を上演するのが目的なのか、何処で音を出すのか、音の種類でも壁の反射版と吸音版が違ってくる。音に依っては、壁は左右対称でない方が良い。それに文化会館ともなると、音楽も演劇も一緒くたなので、どれにでも対応する完全な物は出来ない。
さて、肝心の穐吉敏子のジャズコンサートだが、もうこれは言うまでも無かろう。現在86歳とは思えないキュートさ、1956年に渡米しバークリー音楽院に奨学生として入り、ジャスの黄金時代と言われる50年代を現地で過ごす。コンサートの合間に繰り広げられるMCの内容は、聞き知った有名なジャズミュージシャンの名前が並び、彼女の指の間から繰り広げられる音色は、まさしく王道のジャズだった。
ここで飛び入りが登場する。彼女のハズバンドでもあるフルート奏者のルー・タバキンが一緒に来日し、彼は気仙沼のコンサートに出る予定だったのが都合で取りやめになり、南陽市に来ていると言う。そこで、二人のセッションになった。これがまた和テイストの素敵な楽曲だった。1曲だけの約束は守られることなどなく、続けて披露されて拍手喝采を浴びる。こう言っちゃなんだけど、やはりジャズはセッションだと私は思うのよ。
コンサートが終わり、劇場を出るにもなかなか進まない。受付で彼女のCDの即売が行われていた。しかも、今日ならサインをしてくれると言う。新しいCDはもうすでになく、1980のトリオのCDが数枚しかなかった。Sさんを前に押し出して、手に入れて貰う。サインは穐吉さんとルーさんの合作だった。(^ー^)b
帰りの車の中で、CDをかけて貰ったが、実に気持ちの良いジャズだった。
お腹がすいたよ~と、走る道路の両側で店を探すも、ええぃ思い切って天童まで走ろう。バイパスの一角に飲食店舗が沢山ある所があった筈だと、夜道を飛ばした。赤い幟を見てNさんが「ここが良い。」と即決し、店内に入る。本格中華料理天龍坊だ。家族連れの客で混み入っていた。これは美味しい店かも知れない。予想通り、味は良かった。Sさんがご馳走してくれた餃子を撮すのを忘れるほどだった。閉店時間も遅いので、山形の帰りに食事が摂れなかったら、ここに来ようと決めた。
5月3日は、土門拳記念館で、堤勝雄ギャラリートークが開催される。午後の3時から行われるのに、寄り道をしたので15分ほど遅れて着いた。
今回のギャラリートークは、教室で行うような講演会ではなく、実際にローマ展用の写真を見て歩きながら説明してくれるので、よく判る。堤氏は土門拳の内弟子だそうだ。最初の15分を聞き逃したのは勿体なかった。私は土門拳自身には会った事が無かったが、彼の写真集や書籍を見ていたせいか、言わんとすることは伝わったと思う。ただ、何でもかんでもリアリズムの巨匠と言うのも、おかしいなと感じる。堤氏は土門の風景写真も、一瞬を捉えたリアリズムだと説明したが、いつだったかの売店で販売されたいた風景だけのカレンダーの写真は、ポイントが掴めないほどぼやけた物だった。私は風景よりも人物や町並みの作品が好きだ。
作品が戦前から戦後に移り、「ヒロシマ」の画面になると、原爆に対する土門の思いに上乗せされ、堤氏のトークは反原爆から福島の反原発、果ては安倍政権への批判とヒートアップしていく。差し詰め、どこかの団体のアジ演説風になっていくのを聞きながら、批判するなら現政権ではなく、原爆を落としたアメリカだろうにと思う。
売店で1冊の本を買いながら、池を眺めると景色が良い。そこでも写真を撮させて貰ったが、土門拳記念館の中では、作品だけ写さなければ、室内などは撮影可能だそうだ。それを知っていれば、もっとスナップを撮れたのに残念だった。ギャラリートークと連休が重なって、展示室がこんなに人がいると思う程、混み合っていたのだ。
この第2展示室に向かう廊下の窓は、一箇所毎に大きさが違う。どんどん売店側に近づくに従って幅が狭くなってくる。人間の目の錯覚も使った面白い空間となる。
その窓から、外に人が見えた。そうか、あの滝の上に行くことが出来るんだなと、玄関から横に回ってみることにした。
竹の植え込みが見える。近寄って良く見ると。。。。
筍が無数に出ていた。わぁ、美味しそう!!
池では、いつもの通り、人間達が鯉に遊ばれていた。
三ノ俣に水を汲みに出かけた。途中、若草色の花びらを付けた桜の木があった。
この日は風が強く、枝が揺れて上手い具合に撮せなかったが、この桜は芯が赤い。
雪解けが進んだ鳥海山。種まき爺さんの横っちょが見える。
いつかはダムを渡って、向こう岸に行きたいと思う。
丁度昼頃を狙って出かけたが、水汲み場には私一人だけだった。これは有り難いと持てるだけのバックに入れたペットボトルを水汲み場の横に置いたら、見事に風が強くて飛んで行く。坂道を転げ落ちるボトルを追いかけて拾い集める。蛇口の下に置いたペットボトルも飛ぶ。やっと入った水が重しとなって自立するも、今度は流れ出る水が風に飛ばされ60度から90度も曲がると言う案配だ。お陰で、服はビショビショになった。
水を汲み終え、「さんゆう」で、セリとコシアブラを買う。今日は猫たちには出会わなかった。
いつもの道路ではなく、二の滝方面を走った。これは余所のお宅の畑に咲いていた花。
ナイロンロープが張られていた場所には、ワラビが生えている。やっぱり今年は山菜が早い。
どこをどう走ったか、田んぼの中に出た。鳥海山が低く見える。田んぼも棚田だ。
咲いている菜の花は、いつもの葉と違う。何の菜っ葉だろう。
この菜の花も、風に揺れて止まってくれない。
ちょいと寄り道をして、シオデを見に行った。3本ほど生えているが、見えるだろうか。
綺麗に下刈りされた杉林だが、持ち主が山に詳しいと見えて、コシアブラは刈られていなかった。きちんと残し芽があるのは気持ちが良い。
丈の低いのは刈られていたが、それでも根がしっかりしているので、ちゃんと葉を伸ばしている。これも直に木に成長してくれるだろう。
実はこの杉林の前の道路で、車を止めて降りるのに、私より先に降りたと言うか落ちた物がある。カメラがガツンと鳴った。電源が入らなくなって焦った。カメラは酷使されていると思う。もうボロボロだ。
2016.3.11に、宮城県名取市閖上で、鎮魂の為に踊ってくれた熊本県立鹿本農業高校の郷土芸能伝承部の女子高校生さん達は、今回の地震で大丈夫だっただろうかと、気懸かりだった。
FUSAさんの徒然なか話で、高校と連絡が取れて、皆さん全員無事だったことが判り、一安心した。
生まれて初めての大地震、それに止まることのない余震で、どんなに恐ろしかったかと思う。
中学校なら学区内と言うこともあろうが、高校となると越境して通学する生徒さん達もいるだろう。自宅が被災地な方もいるだろう。どうか、負けずに頑張って欲しい。遠くからも応援している人がいることも知って欲しい。
雪の中の灯籠踊りをありがとう。今年の10月は、建築士会の全国大会が大分県で開催される。風評被害で観光客が訪れないのが、どれだけ地方の経済に負を及ぼすかも、少しは知っている。直接と間接的にも、心に留めよう。熊本のスイカも見つけたら買う予定だ。
今年の山菜の出は早いと聞く。行きたいのはやまやまなれど、足が痛くて向かえない。資源ゴミ回収の朝、2袋を両手に持ち、サンダルを履いて足をひねった。大したことはないだろうと思っていたが、いつまで経っても痛みは取れなかった。靴下を脱いだら、小指から薬指にかけた足の甲が、紫色になっていた。翌日は緑色に変色し面積が増大した。
平地でもビッコ引き引きだもの、山の斜面で足を踏ん張るのは到底無理だ。無理を承知で行けるだろうが、余計に悪くなったら後々に影響する。
天気もあまり良くない。今日のような出勤の日に限って雨が上がるが、結構寒い。
そんな訳で、家の周りの草花を携帯で撮す。赤いイカリソウは、年々数が少なくなっている。植えたままで投げ散らかしだもの、生存競争に勝ったものだけが成長する。
山椒は蕾を付けていた。実は見た事がない。
ピントがぶれまくったヒトリシズカ。これももう花は終わりかな。