老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

     うどん屋でまにあわす

2019-07-12 08:55:06 | 俳句

      

 

昨日は近所のうどん屋へ。我が家から五分の距離。散歩の帰りに寄る時も。

 

建物は東北地方の古民家を移築し、藁屋根に高い天井。入り口付近には水車小屋がある。

 

       

 

昨日は、工事中らしくいつも廻っている水車も止まっていた。

 

     

 

観光客に道をを聞かれたり、美味しいうどん屋と尋ねられると、このうどん屋を教えてあげる。味の好みは、人それぞれだが、建物が珍しいのと、味もまあまあだから観光客には無難である。

若い人など、うどん屋巡りをする人は、ネットで調べたり口コミの情報で何軒かの店を梯子している。(道は聞かれない)

       

昨日も大入り満員の盛況ぶりだった。 

私の好きだったうどん屋は、つぶれてしまった。

店主が交通事故にあい、うどんを自分の手で打てなくなったと噂で聞いた。それもそうだろう。麺をこねるときや生地を伸ばすときは全身の力を込めて、腰に力を入れての作業だ。むち打ち症では、うどんを打つには無理だったのだろう。奧さんと手伝いの一人を加えて三人ほどの小さい店だった。

いつも店には、客が行列を作っていた。熱々に、冷熱、冷々と三種類とトッピングに天婦羅だけのメニューだった。

私がこの店を知ったのは、徳島に住んでいた頃。友人にここの事を教えられた。彼は公務員で、高松にいる時は、中央から転勤をしてくる上司や同僚に、この店に連れて行ってと頼まれたそうだ。 そうだろう、この店に通い出して、黒塗りのハイヤーで運転手付きの客によく出会った。見るから垢ぬけた中堅のビジネスマンとおぼしき人も、よく来ていた。 いつも冷々が好きであった私が暖簾をくぐると、店主が後ろに向いて 「冷々の大」と云う。客の好みも把握していたのが、人気の秘密であった一因かも。

その店が無くなった。うどん屋として全国的に名を馳せた人気のある有名店であったが、今はそこの味を舌先に甦えさせるだけになってしまった。 懐かしい味、もう一度、ここのうどんが食べたい。

 

        ☆     石臼に塩辛とんぼ止まりをり    櫂

        ☆     石臼を飛石にして草紅葉    櫂

 

 

 

 

 

コメント
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