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「教育の評価」のこと (ほぼ再掲)

2020年07月08日 | シロート考え
 これは2007年に書いたものだが、いまでもなんにも変わってないと思う。

 教育関係で、もっとも基本的、かつ、重要なことは「教育の評価」のことだと思うのだが、ほとんど誰も考えてもいないようだ。
 学校の先生のことでも、学校教育でも、なんでもいい、教育に関して客観的で妥当な評価をするにはどうすればいいのか、誰も考えていないし、だからだれもきちんと評価できない。(あるいは「正しく評価する」なんて、ほとんど不可能だ、と言うことすら共通認識になっていない)

 しつこいが、だれもきちんと「評価」なんてしてない。あるのはせいぜい「評判」とか「うわさ」くらいじゃないか。
 多くが、評判のいい学校に行こうとする。東大でも早慶でも、あるいはラサールでも、あそこが特別「よい教育」をしているなんて話は聞いたことがない。ただ「良い生徒が行く」から行きたいのだろう。
 週刊誌で、最近10年間の難関校進学率が上がった学校、の特集をしていたが、それも教育の成果ではない。ただ評判があがり、良い生徒が集まってきた、ということだ。
 そういう学校は、良い教育をしようなんて全然してない。良い教育をしようとしているのではなく「評判を上げる」努力してるだけだ。特待生制度を作り、豪華なコンピュータ室を作り、電車に見目の良い生徒(モデル?)を使ったきれいな広告を貼る。あるいは甲子園に出すことで学校の名前を宣伝をする。学校民営化を進めたやつは誰だ?

 もちろん学校だけじゃない。先生のことでもなんでも、そうだ。

「評価」ができてないということは別の面で言えば、どういう教育を目指すか、と言うこともはっきりしていないと言うことだ。目指すところがはっきりしていれば、それにてらして、評価できるのだから。
 いや、目指すところははっきりしているが、誰か(自民党が代表するような奴ら?)がそれを隠そう、ごまかそうとしている、と言うことかもしれない。