京都駅50年前

2017-11-26 00:00:11 | 想い出
50年以上昔の………
と書くと、半世紀前の事!(◎_◎;)

半世紀以上も昔の京都駅の想い出。

当時の国鉄の硬い座席に座っている私。
トンネルに入る、
急に暗くなる。その閉塞感、息苦しさ
早くトンネルから抜けたいとじりじり身体を硬くする。

母はスマートで背が高く(167cmというのは当時の女性としては相当高い。)
合う靴が無いと困っていた。24cmなんて、今なら普通。22.5cmの私の方が合う靴がなかなか無いわ。

京都まで出かける時はたいそうお洒落をしていたと思う。
母の香水の香りが大好きだった。白くてすらっとしているのに柔らかい手も。

昭和30年代の庶民の暮らしは、とても厳しいうねりの中にあったと思う。
私が生まれたのは、こんにゃくからしばぼうきまで売る萬屋さんが一件あるだけの無医村。
小学校の教師だった母は、私を身ごもった時に退職した。
そして頼まれてピアノの教室を開いた。
学生時代は町の方に下宿していたようだし、田圃ばかりの田舎では、綺麗なものひとつ買えないから、
京都まで出掛けるのはきっとストレス解消の為もあったと思う。

私は甘えん坊で母にベタベタしたかったけれど、母は結構頑固な気紛れ屋で、夕飯時はいつも家族に当たり散らしていた。

そんな母がお出掛けする時はいつもご機嫌良かった。

高島屋とか、大丸でお買い物の時もあった。
映画館へ行く事もあった。
私が一番好きだったのは
十字屋
という楽器や楽譜のお店。
天井まである本棚や、ガラスケースの中でピカピカ光る管楽器。
木の床は焦げ茶色。靴が染み込んでいきそうなくらいしっとりした床。
聴いたこともない音楽が流れている。
母があれこれ物色している間、私はキョロキョロウロウロ。

さて、京都駅のことだった。

それは薄暗い講堂のような姿しか思い出せないのだけれど、
何度か目撃した忘れられない光景がある。ホームから階段を昇って行くと、
壁に沿って元兵隊さんが数人。傷夷兵さん。
その中に脚の無い人がいて、コロの付いた板に乗って乞食をされていた。
母が小銭を私に持たせるので、小走りに渡しに行った。
帽子を目深に被り表情の見えないその人は何も言わない。
私は母の元に戻り縋り付く。

戦争の事など大人は誰も話さない。
お檀家さんのお家に軍人さんの写真が並んでいるのを見ると、あゝ戦争で亡くなった人だなと思うけれど、子供から尋ねることもない。だいたいが大昔のことだと思っていた。想像できないほど大昔のことだと。
だって、私は6歳の時にレニングラードバレエ団の公演に連れて行って貰ったのだもの。
後ろを振り返ることなく新時代を切り開く為に大人が必死に突き進んでいた時代。

今の綺麗な京都駅、吹き抜け明るい大階段。

半世紀前の京都駅を知っているって、我ながら凄いと思ってしまう。