今朝、市民体育館で卓球の練習をしていたら火災警報が鳴った。
「ただ今サブアリーナの火災警報器が鳴っております。確認いたします。」
と、館内放送。
20人ほどいたが、誰も避難しようとはしない。顔を見合わせて「誤報でしょ❓」
しばらくして
「ただ今サブアリーナから火が出ております。落ち着いて速やかに避難してください。」
アナウンスが繰り返し流れる。
それでも皆動かない。
「サブアリーナはすぐ下だぞ‼️」
と、ひとりの男性が皆に避難を促し荷物をまとめて飛び出した。私も後に続こうとしたら
「荷物持っていくの❓」
と、訊かれた。
「飛行機じゃないし、持って避難します。」
と、返事して卓球場から飛び出した。
階段を降りながら振り返ったが、誰も来ない。
サブアリーナの前に来ると、ワラワラと人はいたが煙は出ていない様子。
「誰かが押しちゃったんでしょ」
という声が聴こえた。
誤報だったんだと安堵して戻った。
程なくして館内放送。
「先程の放送は誤報でした。」
皆、ほらね、そらみたことかと、打ち合いを始めていた。
結局、逃げ足早かったのは2人だけだった。
私は避難訓練をしたと思うことにした。
さて、正しい行動をとったのは誰でしょう❓
そもそも、最初の館内放送から間違っている。
警報が鳴ったら直ぐに避難始めるのが鉄則。
誤報だろうが何だろうが、警報が鳴ったら即避難。
「確認します」
などと放送するから、皆は行動しない。
そして、確認しますと言いながら、次の放送は
「火災発生、速やかに避難してください」
何を確認したのやら⁉️
元気な人ばかりとは言え、高齢者の多いグループだから、避難には時間がかかる。
おそらく体育館の職員は確認したのだろうけれど、あらかじめ録音されているアナウンスを間違えて放送したのだろう。
そして、間違えたことに気づかなかった……と。
いざという時、まず誤報だろうと願望的予想にしがみつき行動しないものだと実感した。
本当に火災が発生していたら、何割か逃げ遅れるだろうし、誰かが責任を問われるだろう。
この猫は東日本大地震を経験してから、地震警報が鳴るとテーブルの下にすぐさま隠れるよ。
「ただ今サブアリーナの火災警報器が鳴っております。確認いたします。」
と、館内放送。
20人ほどいたが、誰も避難しようとはしない。顔を見合わせて「誤報でしょ❓」
しばらくして
「ただ今サブアリーナから火が出ております。落ち着いて速やかに避難してください。」
アナウンスが繰り返し流れる。
それでも皆動かない。
「サブアリーナはすぐ下だぞ‼️」
と、ひとりの男性が皆に避難を促し荷物をまとめて飛び出した。私も後に続こうとしたら
「荷物持っていくの❓」
と、訊かれた。
「飛行機じゃないし、持って避難します。」
と、返事して卓球場から飛び出した。
階段を降りながら振り返ったが、誰も来ない。
サブアリーナの前に来ると、ワラワラと人はいたが煙は出ていない様子。
「誰かが押しちゃったんでしょ」
という声が聴こえた。
誤報だったんだと安堵して戻った。
程なくして館内放送。
「先程の放送は誤報でした。」
皆、ほらね、そらみたことかと、打ち合いを始めていた。
結局、逃げ足早かったのは2人だけだった。
私は避難訓練をしたと思うことにした。
さて、正しい行動をとったのは誰でしょう❓
そもそも、最初の館内放送から間違っている。
警報が鳴ったら直ぐに避難始めるのが鉄則。
誤報だろうが何だろうが、警報が鳴ったら即避難。
「確認します」
などと放送するから、皆は行動しない。
そして、確認しますと言いながら、次の放送は
「火災発生、速やかに避難してください」
何を確認したのやら⁉️
元気な人ばかりとは言え、高齢者の多いグループだから、避難には時間がかかる。
おそらく体育館の職員は確認したのだろうけれど、あらかじめ録音されているアナウンスを間違えて放送したのだろう。
そして、間違えたことに気づかなかった……と。
いざという時、まず誤報だろうと願望的予想にしがみつき行動しないものだと実感した。
本当に火災が発生していたら、何割か逃げ遅れるだろうし、誰かが責任を問われるだろう。
この猫は東日本大地震を経験してから、地震警報が鳴るとテーブルの下にすぐさま隠れるよ。