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朝鮮日報の驚くべきコラム

2013-10-07 | 韓国

朝鮮日報には、日本語のWEB記事がある。

記事のタイトルは、<【コラム】日本に「隣人」はいるのか>

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/10/06/2013100600097.html?ent_rank_news

読むと、タイトルのことは、婉曲的に書かれていて、何を言いたいのか分からない。

まず、日本の隣国は、韓国だけでない。

東の太平洋に面している国は、北から挙げれば、アメリカ、カナダ、メキシコ・・・・・アルゼンチンとなる。

南に行けば、オーストラリア、ニュージーランド等があるる。

西に行けば、ロシア、北朝鮮、韓国、中国、台湾・・・・となる。

隣人は、韓国だけでない。

どうやら、韓国だけが、日本人の隣人は、韓国と中国と思っているようだ。

日本には、「隣人」は、沢山いる。

そこが、間違っている。

 

次に、戦争の話をしているが、数千万人の命を奪った戦争と言っているが、どの戦争犠牲者までを行っているのか。

第二次世界大戦における人的被害

第2次世界大戦は、4000万人

  国名 軍人の死者 軍人の負傷者 軍人の行方不明者 一般人の死者
連合国側 イギリス 373.372 475.047 251.724 92.673
中国 1.310.224 1.752.951 115.248  
フランス 213.324 400.000   350.000
アメリカ 292.131 671.801 139.709 6.000
ソ連 11.000.000     7.000.000
ポーランド 123.178 236.606 420.760 5.675.000
ユーゴ 305.000 425.000   1.200.000
その他の国々 150.943 7.082   916.000
小計 33.903.773人
 
枢軸国側 ドイツ 3.500.000 5.000.000 3.400.000 780.000
イタリア 242.232 66.000 350.000 152.941
日本 1.300.000 4.000.000 810.000 672.000
ルーマニア 300.000   100.000 200.000
その他の国々 292.000 50.000 170.000 302.000
小計 21.687.173人

の生命の犠牲と3兆ドルの戦費の戦争といわれている。(『昭和日本史4太平洋戦争前期』暁教育図書参照)上の表は太田大田昌秀『戦争と子ども』(那覇出版)から。

ここでも水増しをしている。

日本人の死者は、民間人を含めて、約310万人と言われている。

ソ連の1100万人は、日本との戦争ではない

数字が違えば、説得力はなくなる。

 

コラムでもなんでもない。

只の戯言。

このコラムでも、ナチと同質にしている。

何を以て、同質なのかの展開がない。

 

日韓併合をどう考えているかを教えて欲しい。

ナチのユダヤ人迫害とは、全く違います。

日本軍は、朝鮮人をガス室に送りましたか?

強制収容しましたか?

女、子供を収容しておりましたか?

日本は、迫害の対象とする朝鮮人の兵隊を何故募集したのですか?

募集したら、朝鮮人が沢山集まってきたのはどうしてですか?

しかも、全員は、徴兵しておりません。

なぜですか?

 「1944年頃の九州の炭坑では、朝鮮人の月収は150~180円と高給でした。当時の巡査の月給(45円)の3~4倍で、大卒事務系初任給(75円)の2倍以上でした」と言われていますが、これも強制労働でしたか?

 終戦前の7ヶ月間だけ、朝鮮人にも徴用がありました。

ドイツによって殺害された人は、900万人とも1100 万人とも言われる。

日本が、ドイツと同じ理由を教えて欲しい。

ナチスは、ユダヤの種を絶すために、大勢の人を殺害しました。

日本人は、朝鮮人の種を絶すことはしていません。

なぜ、朝鮮人は。、日本の内地に渡ってきたのですか?

強制労働は、朝鮮人だけでなく、日本人にもありました。

学生にも、学徒動員という強制労働ががありました。

戦時中なので、日本人は全員応じておりました。

日韓併合により、朝鮮人も日本人でした。

しかし、徴用は、終戦前の7ヶ月間だけで、朝鮮人には適用されておりませんでした。

子供騙しの論理の展開は、新聞社のコラムとしての体をなしておりません。

 

休題:

朝鮮人の強制連行も、強制徴用もなかった

http://blogs.yahoo.co.jp/x1konno/36762482.html

ここの内容を一部、抜粋:

これまでにも朝鮮人が、木の根っ子(ごぼう)や山の草(山菜)を食べさせられたと言うこともありました。
 
朝鮮人が、食料もろくに与えられずに過酷な労働をさせられたというのは嘘です。
 
松代大本営の建設現場でも、すでに朝鮮人の嘘がばれています。

実際には、食糧難の時代にもかかわらず、朝鮮人労働者には多くの食料が与えられていました。
 
松代大本営の朝鮮人労働者への食料配給は、1日あたり白米7合と、麦と、とうもろこしも配給されていたことが判明しています。
 
これまで壕周辺に1か所あったとされていた慰安所は3か所もありました。
 
4~5人の朝鮮人慰安婦が、これらの施設を回っていたこともわかっています。
 
強制労働は優遇労働でした(動画)
 
 
>過酷な状況を語った
 
炭鉱などの開拓史は、「過酷な労働の歴史」とも言われます。
 
しかし、「一旗上げよう」と考えた、朝鮮人や日本人の就労希望者は多かったのです。
 
1944年頃の九州の炭坑では、朝鮮人の月収は150~180円と高給でした。
 
当時の巡査の月給(45円)の3~4倍で、大卒事務系初任給(75円)の2倍以上でした。
 
 
>これまでの聞き取り調査結果は本にまとめ、後世に伝えたい
 
強制連行はなかったという、真実を書け!
 
1910年に「日韓併合条約」(韓国併合ニ関スル条約)を締結しました。
 
 
貧しさを極める朝鮮から、豊かな日本に渡ってくる朝鮮人が激増しました。
 
昭和2年には約16万5千で、昭和13年には約79万9千人に達しました。
 
昭和14年に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、昭和20年には約200万人に増加しました。
 
増加した100万人のうち、70万人は自分から職を求めてきた個別渡航者と、日本で生まれた者です。
 
残りの30万人も、工鉱業・土木事業などの募集に応じた者で、強制連行はありませんでした。
 
1938年の「国家総動員法」に基づき、朝鮮では1939年に「朝鮮人労働者募集要項」(民募集方式)がありました。
 
これは、炭鉱や鉱山など日本内地の事業主が、厚生省と朝鮮総督府の許可を受けて労務者を募集して、応じた人たちが内地に渡航するという、朝鮮人の自由意志でした。
 
1942年に「朝鮮人内地移住斡旋要綱」(官斡旋方式)がありましたが、これも同様に、朝鮮人の自由意志でした。
 
1939年に「国民徴用令」(徴用方式)は、日本内地で実施されて、日本国民は徴用に応じる義務がありましたが、朝鮮人は免除されていました。
 
日本内地にいる朝鮮人に、国民徴用令の適用を実施したのは、1944年9月から大東亜戦争終結の1945年8月までです。
 
また、朝鮮への国民徴用令の適用はさしひかえて、1944年9月に朝鮮で徴用が行なわれましたが、翌年3月までのわずか7ヶ月だけでした。
 
当時の朝鮮人は日本国民ですから、日本国民と、日本国民だった台湾人と同じで、徴用に応じる義務がありました。
 
徴用令書(従事すべき場所や期間、出頭すべき日時など記載)
 
強制連行されたという韓国人の証言には、「農作業中などに無理矢理トラックに乗せられて日本内地へ送り出された」があります。
 
これを事実だとしても、実行したのは日本人ではなくて朝鮮人でした。
 
1965年に「朝鮮人強制連行の記録」を出版した朝鮮総連の活動家、朴慶植という人物が、強制連行を捏造しました。
 
朴慶植の「朝鮮人強制連行の記録」は、鎌田澤(沢)一郎の著書「朝鮮新話」の320ページを一部引用しています。
 
「朝鮮新話」の、「但(ただし)総督がそれまで強行せよと命じたわけではないが、上司の鼻息を窺ふ朝鮮出身の末端の官吏や公吏がやつてのけたのである。」の部分を、わざと省いたのです。
 
毎日新聞の地方版が朝鮮人強制連行の記事を掲載しましたが、強制連行も強制徴用もなかったのが事実です。
 
良識ある日本国民の皆様、強制連行についてご考慮下さい。

冬季オリンピックの聖火リレーが始まるが、ライターの火で再点火かよ

2013-10-07 | スポーツ
来年2月に、ロシアのソチで、冬季オリンピックが開催される。

聖火は、オリンピックの発祥の地、ギリシャのオリンピアから太陽光で点火し、それをリレーで運び、オリンピック開催日に当日、聖火台に灯される。

ところが、今回、ロシアのリレーの聖火の火が、消えた。

本来は、そういう時のための種火があるから、そこから、再点火する必要があるが、担当者は、ポケットから取り出したライターで再点火。

おいおい、ライターで再点火?

さすが、ロシア。

「火をリレーするだけだろう。どの火でも同じ」

と言ったかどうかは知らない。

この後の聖火リレーの意味がなくなったと思いますが・・・・。

 

あのオリンピアでの儀式はなんだったかと考えさせる、お粗末な対応でした。

来年の冬季オリンピックは、ソチ・オリンピックでなく、粗相(ソソ(ウ)オリンピックに成り下がったと考えます。

 

休題:

粗相の意味:

不注意や軽率さから過ちを犯すこと。また、その過ち。「お客様に―のないように」
大便や小便をもらすこと。「子供が遊びに夢中で―する」

交通事故の映像

2013-10-07 | ブログ

直進する大型トラックと右折する軽自動車の衝突映像が放映されていた。

軽自動車の運転手は、20前後の女性。

あのタイミングで、軽自動車が右折した理由は、不明。

軽自動車の運転手は、明らかに直進するトラックのスピードを見誤っている。

 

軽自動車の運転手の読みと心の呟き(私の推測)

 ・私が右折したら、トラックはスピードを緩めるだろう。

 ・私の車が通り過ぎた後を直進するだろう。

 ・だから、大丈夫。

 ・行っちゃえ

 ・あっ、トラック、私の進路に寄って来てる。

 ・あ~、ブツカル。

 ・ぶつかったじゃないの。

 

トラックの運転手の対応と心の呟き(私の推測)

 ・おいおい、このタイミングで右折で入って来るのかよ

 ・こちらもブレーキを踏むが、相手の軽自動車もブレークを踏むだろうから、左にハンドルを切って止まるぞ。

 ・おいおい、軽自動車、ブレーキを踏まずに右折かよ。

 ・ほら、ぶつかったじゃないか。

 

明らかに、右折した軽自動車の運転ミス。

ほんの一寸、待っていたら、面倒臭いことにならなかったのに。

軽自動車の車は、廃車間違いなし。

大きな痛手に違いない。

 

映像を見ていたら、トラックのスピードが気になった。

スピード・オーバー気味か?

しかし、軽自動車の運転手が悪い。

 

休題:

私も、バイクと軽く接触した事故を経験。

左折するために、早めに左のウインカーを上げながら、左側に車を寄せた。

左折する道には、歩行者がいたので、スピードを緩めながら、左折。

そして、車が左折の道に入ったところで、バイクがボンネットの左隅に接触し、バイクと運転手は倒れた。

バイクの運転手は、サンダル履き。

しかも、バイクはレンタルバイク。

バイクの運転手の言い分は、ずっと、私の車と並行して走っていたと嘘とつく。

私が左のウインカーを上げて、車を左に寄せた時には、バイクはいなかった。

左折する時に、歩行者を見ていて、車道は見ていなかったが、道に少し入ったところでぶつかっているのは、明らかに後から入って来て、ぶつかった感じ。

それから、救急車を呼び、警察を呼んで、現場検証に2時間程掛かった。

その後の保険会社との処理にも、電話であるが、時間を取られた。

全て保険会社が処理したが、内容証明付きでバイクの運転手に郵送に対しても、最後の書類の手続きが完了しなかった。

保険会社は、最終的には、時効で対応すると言っていた。

バイクの所有者が、レンタル会社だったので、バイクも保険に入っていて、保険で全て対応できた。

保険会社の査定では、相手2割、私が8割負担となった。

相手の2割も、私の8割も、全て保険で対応したので、一銭も支払っていない。

私の迷惑は。保険料率が下がってしまったこと。

 

閑話休題:

車を運転する時は、

・心に余裕をもって、運転すること

・車装映像が必要なことと

映像を見て、改めてそう感じた。