右脇腹の痛みで3月はゴルフもボウリングもできませんでした。
4月に転倒して顔面を負傷し、その傷が癒える頃に熊本地震が発生しました。
結局、これほど何もできずに過ごした春は記憶にありません。
そこで、" 今春みすみすまた過ぐ " という一節を思い出してグーグル検索をかけてみました。
杜甫の五言絶句でした。
この句と出会ったのは高校時代でしょうから、50年近い年月が流れています。
その中の一節を、ふと思い出すわけですから、人間の記憶力って不思議ですよね。
最近の出来事はすぐに忘れるくせに.....
江碧鳥逾白
山青花欲然
今春看又過
何日是帰年
江みどりにして鳥いよいよ白く
山青くして花燃えんと欲す
今春みすみすまた過ぐ
何れの日にかこれ帰年ならん
看という字は、目の上に手をかざして見る、つまり、注意深く見るという意味で、そこから看護婦という単語が発生したと習いました。
ところが、この句では看過ごすという意味で使ってあります。
この句の日本語訳にみすみすを持ってきた人は天才ですよね。
もともとは、" みすみす獲物を逃がすのか? " などのような使われ方をしていたのでしょうから、
" 手をこまねいて " というニュアンスがあるようです。
例文を作ってみます。
" 3月は仕方なかったとしても、4月は、やろうと思えばできたはずのゴルフ練習のチャンスを、
手をこまねいて、みすみす逃してしまった。"
4月に転倒して顔面を負傷し、その傷が癒える頃に熊本地震が発生しました。
結局、これほど何もできずに過ごした春は記憶にありません。
そこで、" 今春みすみすまた過ぐ " という一節を思い出してグーグル検索をかけてみました。
杜甫の五言絶句でした。
この句と出会ったのは高校時代でしょうから、50年近い年月が流れています。
その中の一節を、ふと思い出すわけですから、人間の記憶力って不思議ですよね。
最近の出来事はすぐに忘れるくせに.....
江碧鳥逾白
山青花欲然
今春看又過
何日是帰年
江みどりにして鳥いよいよ白く
山青くして花燃えんと欲す
今春みすみすまた過ぐ
何れの日にかこれ帰年ならん
看という字は、目の上に手をかざして見る、つまり、注意深く見るという意味で、そこから看護婦という単語が発生したと習いました。
ところが、この句では看過ごすという意味で使ってあります。
この句の日本語訳にみすみすを持ってきた人は天才ですよね。
もともとは、" みすみす獲物を逃がすのか? " などのような使われ方をしていたのでしょうから、
" 手をこまねいて " というニュアンスがあるようです。
例文を作ってみます。
" 3月は仕方なかったとしても、4月は、やろうと思えばできたはずのゴルフ練習のチャンスを、
手をこまねいて、みすみす逃してしまった。"
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