はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

さだまさし・チャンポン食べたかっ!

2015年11月27日 | 読書


さだまさしが、思春期から20歳で " グレープ " としてデビューするまでを、ほとんど自叙伝として語っていきます。

年齢は私の1学年下ですので、取り上げられる世相のニュースが、まさに私の思い出とシンクロします。
ベトナム戦争、フォークソング、グループサウンズ、加山雄三、ラブミーテンダー、70年安保闘争、浅間山荘事件、
トニー谷、三島由紀夫と楯の会、大阪万博、まぼろしの邪馬台国、横井庄一などです。

さだまさしは、長崎で貧しい家庭の長男として生まれるも、3歳の頃からバイオリンを習わせてもらったそうです。
その後も夏休みの度に東京に行き、有名な鷲見三郎先生の指導を仰いできました。
そして、九州・山口音楽コンクールに出場し、小学校5年生で3位、6年生で2位に入賞します。
大層喜ばれた鷲見先生に、中学生になったら東京に出て来て、自分の元へ通ったらどうだと言われます。
これは異例のことだそうで、経済的な不安はあったものの、なんとかなるだろうという楽観的な考え方で上京を決意します。
しかし、さだまさしは、このポジティブな考え方が、いつも自分を過酷な方へ追い遣ることになったと述懐しています。
ともあれ、こうして中学生でありながらプロのバイオリニストを目指し、1人での下宿生活を、そして青春時代をスタートさせたのです。

この自伝では30人以上にも及ぶ人物との交流のエピソードが綴られていきます。
様々なキャラのオンパレードですが、その中でも圧倒的に魅力的であり、作者に影響を与えたのは、
高校2年のときの担任である安本衛先生でしょう。
この先生をモデルとして小説を創作して欲しいと思うほどユニークで素敵なキャラでした。

とにかく、トーク術に長けるさだまさしの小説ですので面白くない訳がありません。
" 天才だ天才だ天才だ " など3回繰り返されると、つい、その気にさせられるという最近の鉄板ネタがありますが、
そのオリジンとなった親子も紹介されます。

さだまさしは、この本の長い後書きで、登場人物の消息を次々と列記しています。
そして、次のように締めくくります。

こうして振り返れば当時の仲間は、物故者を別にすれば驚くほど「相変わらず」の交誼がほぼ途切れず却って暑苦しいほどに続いている。
出会った時には、まさか半世紀の時を友として過ごそうとは、想像だにしなかったことである。
まさに偶然、我々の仲間に 「さだまさし」というランドマークが出現したことによって、それぞれ我々の連絡先が担保されたわけであるから、これは 「さだまさし」をつくってくださった神様に心から感謝したい。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿