ギボシ
ヌガーとタッフィーを辿る途中で「豆板」菓子も思いだした。
「豆板」は砕いたピーナッツが入った板飴である。飴とピーナッツの比率は4:1位?
そうだ タッフィーを「雷おこし」と考えれば頭の整理がつく、飴との比率は 1:9位?
ついでに ヌガーではその構成比を5:5と勝手に決めた。
待てよ 私の知っている 本来の飴だけの白いヌガーはどこえ消えた?
疑問はネットの威力で解決した、後は入手して実際に味を確かめるだけである。
【伊那節ヌガー】
外松のお菓子を代表するヌガーは、昭和11年に“飛行機印温泉ヌガー”として製造が開始されました。
当時、ヌガーを包んでいたものは蝋紙とオブラートで、それをひとつひとつ女工さんたちが手作業で包んでいたそうです。
戦中ということもあり砂糖が思うように供給されず、一時製造を休止していた時期もありましたが、再び製造されるようになると、長野県内を中心に、昔懐かしい味として県内外の方々からも愛される商品となりました。
現在では、外松の“伊那節(いなぶし)”という菓子シリーズのひとつとして、変わらず造り続けられています。
花を食べるのが目的の花オクラがあるらしい。
オクラの花を食べたらどうだろう?
あるお楽しみ会の土産に、松本の銘菓「真味糖」を持参した。
後日 「美味しいお菓子(和製ヌガー)をいただき、おしゃべりも楽しく、とてもいい時間を過ごす事ができました・・・・・・」とメールが届いた。
「ヌガー」!!何と懐かしい響きだろう、何十年も堆積した時間の一番奥底から蘇った懐かしい響きである。
私の知るヌガーは、ミルク味がする柔らかな飴菓子で、一つづつ色のついた蝋紙に包まれていた。
戸棚の奥にしまいこまれたブリキ缶から、1日に一つだけ貰うことができた。
そんな飴菓子と真味糖が結びつかないことに、メールの主がダブって見えて、もどかしさを覚えた。
私は既にヌガーは死語と思っていた、その名がつく飴菓子が今も闊歩していると知り、驚き、かつ安心した。
しかし「真味糖」の説明文には「鬼胡桃と蜂蜜などを用いた和風タッフィー 裏千家淡々斎宗匠の命名によるお茶席菓子です」とある。
早速 タッフィーとヌガーの類似点を調べることにした。 ちなみにタッフィーは初めて聞く言葉である。
もう出るころだと背丈ほど伸びた茗荷の藪を分けて見る。
藪の下のひんやりと冷たい土の中から、落ち着いた海老茶色の花茗荷が押すな押すなと頭を出し始めた。
忘れ薬として知られる茗荷の花茎である。
藪陰に妖気をを含んでひんやりと茗荷が咲く 玉音の流れた日
天皇様の声を聞こうと家族がそろってラジオの前に座った、しかし放送の内容は全く理解できなかった。
父が一言「戦争に負けた」とだけ言った。戦争を直接知らない田舎の子供にはその意味すらわからなかった。
放送が終わった直後 爆音が響き練習機が屋根をかすめるように飛来した外に飛び出すと、操縦席から身を乗り出すようにした兵隊が日の丸を振って飛び去った。
あの日から66年が過ぎた今日 サイトで改めて玉音放送を聞いた。
後半胸に迫るものがある。
惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス 爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ 萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ 若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ 信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ 任重クシテ道遠キヲ念ヒ 總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ 志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
草アジサイ
昨日は迎え盆 住職がスクーターに乗って檀家を訪問し仏前で読経し回向する。
限られた時間内に回る檀家は多い、冷たい麦茶で喉をうるおす間も惜しんでの訪問である。
しかし 今年は寺の床下に棲む獣の話で、住職の喉を潤す時間がちょっぴり長引いた。
住職は云った「以前 庫裏の床補修で縁の下に入った棟梁から、床下に巣食う多数の小動物の報告を受けた。
ほっておくと建造物に重大な被害が生じる可能性があり、現に庫裏の床が著しく傾斜しているという。
専門家に依頼して捕獲のための檻をセットした、すると1年間にハクビシン、アナグマあわせて15頭が捕獲された。」
聞き手の私共夫婦は身を乗り出して「捕まえた動物はどうされたのですか?」
「捕獲した専門家に「決して手荒なことはしないでくれ」と因果を含め、「寺に棲んだ動物に手荒な事が出来るわけありません、どうか安心してお任せ下さい」と業者は真剣な顔で胸を叩いた。」
住職曰く 「今日にいたる迄 捕まえた獣をどうしたのか業者に問いただしたことはない」
そこで私は思った、先日カメラに写ったアナグマは、菩提寺に生息した獣の末裔ではないかと。
独活の花
田畑を荒らす獣と農家の戦いには長い歴史があるのだという。
各地に残る猪土手の遺構がそれを物語っている。
猪土手は山側に深い溝を掘りその土を里側に盛り上げて土塁を構築する。
溝の底から見上げる土塁の高さは2メートルを越え、更に必要に応じて土塁の上に垣根を作って三重の備えとした。
山麓に沿って延々30キロに及ぶという大工事である、人力あるいは畜力に頼ったとしても、この様な大工事を遂行することは生半可なことではない。
当時も害獣の生存数が多く、人間との生存競争の激しを物語るものである。
猪土手の効果維持に関わるメンテナンスも重い作業であったことは間違いない。
農家にとって獣害から作物を守る猪土手の建設は、自らの生死に直結する重大事だったのだろう。
現在 防獣フェンスの敷設工法はは基礎金具を地中に打ち込み、その金具に支柱を差し込んで金網を張ってゆく、猪土手構築とは比較にならない簡便さである。
一度猪土手の遺構を見たいと思っている。
朝の彩り
朝の彩りは、短い時間で色あせる。
寝苦しい亜熱帯夜が明けた朝 気分爽快とは言い難い。
冷えた大気に包まれて、天空で繰り広げられる色彩の変化を見ていると徐々に両足に力が満ちてくる。
午後から塩尻市の長野県畜産試験所において、獣害防止用フェンス資材検討会が開催され出席した。
このようなフェンスを張り巡らせて害獣の侵入を阻止する。
現代の猪土手である。
アジサイ 墨田の花火
ホテルから新宿駅まで、照りつける太陽を無防備に受けて数分間歩いた。
薄くなった頭のてっぺんから汗の湧きだすのがわかる。
切符売り場では既に列車の指定席は完売していた、自由席を確保するため一列車を見送り、ホームに出て後発列車を待つ行列の後ろに並んだ。
7:15分 ホームはまるでオーブンの中にいるようだ、汗が噴き出して、胸を伝わって流れるのが判る、 2枚のハンカチが絞るほどに濡れた。
7:45分 ホームに待機していた8:00発スー パーあずさ松本行きのドアが開いて乗り込む。
汗でぬれた下着が急激な温度差で不快感を増してくる、8時自由席通路にも人も満たして発車し、灼熱の東京から脱出できた。
10:38分 松本着 降りたホームの暑さは東京以上であったが、吹き抜ける風が心地よい。