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自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

少年K君の訪問

2013-08-31 | 日記

学校の夏休みが終わりを迎えました。いつものことながら,子どもたちにすれば終わってみればアッという間の短さ,というところでしょうか。わたしのしごと場では一部,学童保育で部屋が使われていますが,子らのにぎやかな声も今日(8月30日)限り。

この夏,科学の祭典で少年K君と火起こし体験を通して知り合いになりました。その彼から電話がありました。体験を模造紙にまとめたので見てほしい,これを学校の自由研究として出したい,ということでした。もちろん,大歓迎です。

お母さんと妹さんと三人で,遠いところから時間をかけて訪ねてくれました。

模造紙には,キリモミ式,マイギリ式,火打ち式の三方式による発火法の要点が鉛筆書きで簡潔にまとめられていました。文字も疎かなところがありません。手元にある資料と体験にもとづいて,すっきり整理されていたので,褒めておきました。これをさらに清書し,写真を貼付して仕上げるとか。

お母さんの話では,K君は興味・関心を抱いたことには,とことんのめり込み没頭する性質なのだそうです。習っているサッカーもそう,学びにおける追求ぶりもそう。散漫ということばとはまるで反対の,集中型人間なのでしょう。これが“この子らしさ”。

この“らしさ”は“ならでは”に相通じます。一人の子の成長を考えるとき,“この子ならでは”が発露し,“この子”と関わる人から心地よく認められるという環境でこそ,学び続ける力が鍛えられます。子の息遣いを,おとなは感じとり,応援しなくてはなりません。

ハッピーな育ちということについて,わたしははるばる訪ねてくれたK君,そしてご家族と重ね合わせて考えたのでした。若いいのちとの出会いは,何ものにも代えがたい価値があります。すてきな8月でした。

 


虫の目レンズを手に野へ(11)

2013-08-31 | 随想

池の堤を歩くと,驚いたようにショウリョウバッタが飛び立ちます。いくらでも棲息しているといった感じです。 おいしい草がたくさんあって,その下に都合のよい産卵場所があるので,とても棲み心地がよいのでしょう。

わざと堤の斜面を歩くと,それこそびっくりしたようにバッタが飛び出します。それがキチキチと舞い上がって,クズに降り立ったところを撮ったのが下の写真です。

こんなにバッタが多いと,天敵だっているはずです。いました,いました。その典型はクモです。堤の下にある溝には,とにかくたくさんのクモが! 獲物の多さに比例してクモの棲息密度が高いのはよくわかる話です。それが溝の両脇に生えた草を頼りにして巣を張っています。ちょうど溝の真上に位置するので,「ここもか,ここもか」といった景観です。

見ていくと,ショウリョウバッタが絡めとられた巣がありました。 バッタはすっかりボロボロといった状態でした。いのちを失うまでに,相当にもがいたはず。

この写真を撮るのに,足を溝に入れて低い姿勢になりました。空を大きくとって,その中に虫が浮かんでいる構図なら,虫たちのいのちを一際強調できるでしょう。

ただ,こういう写真を撮るのに風の影響が災いします。クモの巣の端は草につながっています。草が揺れ,巣が揺れます。風は弱くても吹き続けるので,タイミングを待たなくてはなりません。なかなか苦労します。 

人の姿が見える野で,小さな生きものが自分に託されたいのちを生き抜こうとしています。使命を全うしようとする必死な姿が,至るところにあります。