今日は、丹葉地区養護教諭研修会。
久々に、地区の養護教諭が一堂に会しました。
今は、冬休み中ということで、みんなちょっとだけほっとした表情でした。
ふたつの実践報告を聞いたあと、質疑応答。
そして、養護教諭から今年、教頭先生になられたF先生の講話を聞きました。
立場が変わり、見えてくるものがまた違ってきた、と、F先生はおっしゃいました。
「以前は、養護教諭として、今は教頭として、学校内を回っています。すると、見えてくるものも感じるものも違います。
ああ、養護教諭のときは、みえてなかったものってあったんだと感じます」
そんなお話から始まって、
昭和22年 養護訓導と呼ばれていたのが、正式に「養護教諭」という職名に変わりました。それまでは、学校医やその他の関係職員の補助者という立場だったのが、これを機に「自らの判断のもとに自主的に職務を遂行する独立的な職になりました。そして、「教育的関与」が著しく増大。このころから、従来あった看護師的な役割が払しょくされました。
まさに「教育職」!
昭和47年 保体審答申 「主体的役割の明確化」
国立大学4年制大学における養護教諭養成課程が設置された。そして、養護教諭配置が拡大します。そして、現職教育も充実してきます。
平成9年 保体審答申 25年ぶりに改正 「新たな役割」の提言
ここでは、心の問題の深刻化や学校におけるカウンセリング等の機能の充実ということが盛り込まれました。そして健康に関する現代的課題への対応が養護教諭の新たな役割として挙げられました。
こうした養護教諭の職務の変遷のほか、さまざまな視点から、ロジカルにこれからの養護教諭が何を求められていて、どのように保健室経営をしていくのか・・など、たくさんの貴重なお話をしてくださいました。
夜は、地区の養護教諭があつまっての懇親会。
話題はやはり、先日、このブログでも取り上げた「学校保健法の改正(改悪)」でした。私たちの職務が「学校保健法」にとりあげられるとはどういうことか?
私たちの職務は、「学校基本法」など学校教育の法律で明確にされるべきである。
栄養教諭は、栄養士の資格から「教諭」となって教壇に立つわけだが、いくら食育が大切だといっても、たった数日の認定講習と5日間の教育実習で・・・というのはいささか疑問が残る。いや、かなり疑問が残る。
もともとは、Mという前首相の奥さんが栄養士で、「ねぇねぇ、栄養士も教壇に立ちたいのぉ」というおねだりから始まって、そこに地産地消をひっさげた農林水産省から食育という大名目のもとに、栄養教諭という話が突然強く押し出されてきた。やや政治的なにおいがします。
まぁ、それはさておき、食育というのは、たしかに本当に大切なことです。
でも、それって、これまでも養護教諭って、あたりまえのようにやってきたんですが・・・。
栄養士には、給食会という大きなバックアップ団体もありますから、勢いはは強いです。
栄養教員が必要ないと言っているわけではなく、「教諭」という名のもとにやるからには、ちゃんとミッションをもって、思いを持って、組織の中で連携して、自己研鑽をつんで、子供たちの前に立ってほしいのです。
ちょこちょこっとごまかしたような認定講習や付け足し程度の教育実習だけで、実質が伴わないようならば、それは大きなマイナスです。
養護教諭をバックアップしてくれる大きな団体はありません。
私たち養護教諭がその職歴の中で、子供たちへの思いと職へのプライドで作り上げた組織だけです。
だからこそ、人一倍、養護教諭は努力しているし、授業開発へのエネルギーも半端じゃない。職務の守備範囲は、更に広くなり、そして、深くなっていきます。
にもかかわらず、法律の中には、103条「養護教諭は当分の間おかないでおくことができる」という一文があります。
愛知県は、養護教諭が全校配置です。
しかし、全国的には、養護教諭を配置していない学校があるのです。
(ちなみに、私が小中学校の時には、保健室の先生がいなかった)
そんなばかな!!
立ち上がれ!!養護教諭よ!!
養護教諭がいかに子供たちのためにがんばってきたのかを、訴えよう。
もう、「縁の下の力もちになるわ」と引っこんでいる場合ではない。
私たちがやってきた数々の実践を、子供たちにかかわってきたたくさんのことを、もっともっと知ってもらいましょう。
私たちの環境は、私たちの力で動かしましょう。