「いつか」なんてない
「もう少し時間ができたら、いつか、これをやろう」
「いつか、大きな夢をかなえてみせる」
「いつか・・・きっと・・」
私たちがよく使う「いつか」ということば。
以前は、私はよく使っていました。
以前は・・・です。
今は使いません。
だって「いつか」なんていうのは、「ない」に等しいからです。
「いつか」ではなく「今」やる。
「いつか」なんて仮定は、本気じゃないから「いつか」なんだ。
「いつか」を言いつづけていると、心のどこかで「いつかなんて永遠にこない」ってわかっているような気がする。
責任というものが、自分の外にあるのではなく、
すべて自分の中にあるということを、100%受け入れたら、
私たちは、自分の人生の舵取りを自分でできる。
潔い人生の選択をすることができる。
こわいから「いつか」と言い訳をする。
何かの本に「本気と必死は違う」と書いてあった。
必死にならなくても「責任はすべてわが内にあり」ということが、人生の中で生きていれば、なにも恐いものはない。
どこにエネルギーを集中させて、自分の人生を生きていくのか、明確になる。
自分の人生に責任をもって生きていく上で、「何を手放すか」
本当はそれほど大切でもないのに、しがみついている何か。それは、恐いから。
手放してしまうことで、丸裸にされたような恐さがあるのかもしれない。自分そのもので、勝負するということだあから。
恐怖や不安は、「言い訳」を引き出す。
「いつか」はない。
あるのは、今、ここで、何かに対して動くこと。
私が私として生きていく人生において、何かに対して「動いた」時、いかに潔く手放し、いかにい自分の中に「責任」をもてるだろうか。