(株)ハートマッスルトレーニングジム代表
主体的人生を構築する人材育成トレーナー
桑原規歌(朱美)です。
今日のテーマは
「言わないけど察しなさいの高文脈文化言語」です。
弊社の「生きづらさ妖怪攻略ブックVol.1」にも出てくる
《妖怪サッシ手》
そして、私の著書「保健室から見える親が知らない子どもたち」
主体的人生を構築する人材育成トレーナー
桑原規歌(朱美)です。
今日のテーマは
「言わないけど察しなさいの高文脈文化言語」です。
弊社の「生きづらさ妖怪攻略ブックVol.1」にも出てくる
《妖怪サッシ手》
そして、私の著書「保健室から見える親が知らない子どもたち」
でも書いた、最後まで言わなくても察してしまう大人の話
そもそも日本の文化に
「察して動け」があります。
今日は
このことを文化人類学の視点から
お伝えします。
文化人類学には
高文脈文化のコミュニケーション
低文脈文化コミュニケーションという
言葉があります。
日本語は、世界中の言語の中で
最も「高文脈」の言語です。
■高文脈文化のコミュニケーションとは
言葉として表現された内容よりも、
行間に含まれる意図や
本音のようなものがあり、
それを明確に言語にしなくても
相手に理解されたり
理解したであろうという
意思伝達が行われる。
いわゆる「意図を汲め」
「空気を読め」「察しなさい」
ってやつですね。
「母さん、あれ」というと
奥さんが「はいはい」といって察してもって来る
波平さんと舟さんのやりとりのような・・・。
つまり、非常に抽象度の高い表現を使っても
コミュニケーションが可能なのです。
ただ、その分、解釈の仕方によって誤解も
多くなります。
■低文脈文化のコミュニケーションとは
言葉に表現された内容=情報
言葉にしていない内容は伝わらないことが
当たり前のコミュニケーション。
その傾向が一番強いのは
ドイツ語だとされています。
必要なことは、しっかり言語化して
具体的に伝えるという
コミュニケーションをします。
言葉通りに受け取れば
そこに誤解は生じにくくなります。
■前提を明確にしないことで誤解が生じる
どちらがよい、悪いはありません。
ただ、高文脈文化の言語では
気を付けるべき点があります。
特に、同じ組織(地域)で、長い間一緒にいると
言わなくても当然そうだという意識が生まれます。
つまり、その組織(地域)で
無意識のうちの「当たり前」や「前提」ができあがり
それを共有して行動します。
『そんなの当たり前のこと』が前提で
言語化することもなく
それで終わることも多いのです。
「はっきり伝えて、あえて波風立てなくても」
という意識もあります。
同一意識、同じ意識の土台の上にいるので
とても余計なことを言わなくても
動けるので「安心」を感じます。
しかし、そこにそれを理解していない人が
入ってくると、安定した関係性に
「崩れ」が起きます。
今はやりの「Iターン」でも
元々の住民と移住した人の間で
誤解が起きるのも
これにあたると思います。
長年、同じ意識を共有している中ですんでいると
言語で言わなくても共有していることがあり
新しく来た他地域からの人間に対しても
それを、言語で伝えることなく
「しっているもの」として
扱われます。
何も聞かされていない
新しい居住者が
その前提と違うことをすると
「あいつは常識知らず」と言われます。
だって、そんなこと
だれも教えてくれなかった・・・
移住した人が
居づらくなったという事例は
こういうことも原因の一つではないか
と思うのです。
■無意識に持っている当たり前を丁寧に伝える
私の事務所がある地域も
朝のゴミ当番表には
朝7時からと書いてあるのに
7時に行くと
元気なじいちゃんたちが
6時過ぎから動いていて
大体終わってる(笑)
地域の
じいちゃんたちは
優しいので、
「ああ、終わったよ」で
住むのですが、
こういうことなんだと思います。
前提をちゃんと伝える。
行間を読め、そこは察しなさい!
ということは
日本の中にはいろいろあるのでは
ないでしょうか?
桑原自身も
けっこうそういうことがあり
反省することが多々あります。
日本の文化だから
仕方ない・・・ではなく
無意識の当たり前を
ちゃんと言語にして
相手がわかるように伝えていく
というのは、本当に大切なことだと
思います。
それでは
今日も素敵な1日を!
このことを文化人類学の視点から
お伝えします。
文化人類学には
高文脈文化のコミュニケーション
低文脈文化コミュニケーションという
言葉があります。
日本語は、世界中の言語の中で
最も「高文脈」の言語です。
■高文脈文化のコミュニケーションとは
言葉として表現された内容よりも、
行間に含まれる意図や
本音のようなものがあり、
それを明確に言語にしなくても
相手に理解されたり
理解したであろうという
意思伝達が行われる。
いわゆる「意図を汲め」
「空気を読め」「察しなさい」
ってやつですね。
「母さん、あれ」というと
奥さんが「はいはい」といって察してもって来る
波平さんと舟さんのやりとりのような・・・。
つまり、非常に抽象度の高い表現を使っても
コミュニケーションが可能なのです。
ただ、その分、解釈の仕方によって誤解も
多くなります。
■低文脈文化のコミュニケーションとは
言葉に表現された内容=情報
言葉にしていない内容は伝わらないことが
当たり前のコミュニケーション。
その傾向が一番強いのは
ドイツ語だとされています。
必要なことは、しっかり言語化して
具体的に伝えるという
コミュニケーションをします。
言葉通りに受け取れば
そこに誤解は生じにくくなります。
■前提を明確にしないことで誤解が生じる
どちらがよい、悪いはありません。
ただ、高文脈文化の言語では
気を付けるべき点があります。
特に、同じ組織(地域)で、長い間一緒にいると
言わなくても当然そうだという意識が生まれます。
つまり、その組織(地域)で
無意識のうちの「当たり前」や「前提」ができあがり
それを共有して行動します。
『そんなの当たり前のこと』が前提で
言語化することもなく
それで終わることも多いのです。
「はっきり伝えて、あえて波風立てなくても」
という意識もあります。
同一意識、同じ意識の土台の上にいるので
とても余計なことを言わなくても
動けるので「安心」を感じます。
しかし、そこにそれを理解していない人が
入ってくると、安定した関係性に
「崩れ」が起きます。
今はやりの「Iターン」でも
元々の住民と移住した人の間で
誤解が起きるのも
これにあたると思います。
長年、同じ意識を共有している中ですんでいると
言語で言わなくても共有していることがあり
新しく来た他地域からの人間に対しても
それを、言語で伝えることなく
「しっているもの」として
扱われます。
何も聞かされていない
新しい居住者が
その前提と違うことをすると
「あいつは常識知らず」と言われます。
だって、そんなこと
だれも教えてくれなかった・・・
移住した人が
居づらくなったという事例は
こういうことも原因の一つではないか
と思うのです。
■無意識に持っている当たり前を丁寧に伝える
私の事務所がある地域も
朝のゴミ当番表には
朝7時からと書いてあるのに
7時に行くと
元気なじいちゃんたちが
6時過ぎから動いていて
大体終わってる(笑)
地域の
じいちゃんたちは
優しいので、
「ああ、終わったよ」で
住むのですが、
こういうことなんだと思います。
前提をちゃんと伝える。
行間を読め、そこは察しなさい!
ということは
日本の中にはいろいろあるのでは
ないでしょうか?
桑原自身も
けっこうそういうことがあり
反省することが多々あります。
日本の文化だから
仕方ない・・・ではなく
無意識の当たり前を
ちゃんと言語にして
相手がわかるように伝えていく
というのは、本当に大切なことだと
思います。
それでは
今日も素敵な1日を!
この記事は、メルマガ「可能性をあきらめたくない女性のための時間と思考の使い方」
2021年5月17日号で紹介した内容に加筆修正した内容です。
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~「指示待ちっ子」が「自分から動く子」になる親の習慣~