【2005年の記事】
2学期が終わり,冬休みに入りました。
生徒達は,雪の中を意気揚々と帰宅していきました。
本当の意味での楽しい冬休みにして欲しいと思います。
生徒達は,「楽しい」ということを,時として間違ってしまうことがあります。
楽しいとは、面白おかしいことではないのです。
楽しいということには,責任が伴うということを忘れてしまいがちです。
いいとか,悪いということではなく,まだ,そのことが彼らの心の深い部分に理解されていないだけなのかもしれません。
「責任」とは,何でしょうか?
それは,「自分の選択の結果を自分で引き受けること」です。
自分の人生の責任は,どんなことでも自分にあるということを,私たちはどれだけ受け入れて生きているのでしょうか?
生徒達の生活を見ていると,責任を外に求めてしまうことが多々あるように思います。
「お母さんが,やってくれなかったから」
「先生が,持ってきてくれなかったから」
「ちゃんといってくれなかったから」
「○○さんが,そうしろといったから」・・・・。
確かにそれもあったかもしれません。
しかし,自分の人生の作り手は,自分自身です。
自分がやったこと,できなかったこと,すべての責任を,自分で負わなくてはなりません。
他人の人生の責任は?その人自身がとるべきものです。
そして,親や教師やまわりの大人が,子ども達にしてあげることができる最大のプレゼントは,
「責任」ということを教えることです。
教師として,大人として何ができるでしょうか?
子ども達が選んだ選択を,尊重しつつ(それがOKという意味ではなく)伝えることではないかと思います。
「結果として自分に起こってくる結果を自分で引き受ける覚悟があるのですね」
「自分がまいてきた種によって,出てきた結果については時分で刈り取ることができるのですね」
「今の人間関係で起こっていることは,あなた自身がまいた種なのですよ」
「何かをしようとする場合には,立ち止まって考えなさい。
それをしたら,自分の人間関係 健康 幸せ 愛情にどのような影響が生じるだろうか?・・・と」
子どもがしたことに,親が,替わって言い訳をしてあげるというのではなく,
あなたがまいた種だから,自分で責任を負いなさいと,言ってあげることが,子どもの成長に大切なことではないでしょうか?
にんじんの種をまけば,にんじんができます。まちがってもメロンは実りません。
メロンが食べたいからといって,人がメロンの種をまき,そのメロンができるのを待っていることを期待していれば,
メロンが食べれなかった時,「どうしてメロンを作ってくれなかったんだ」と,
他人の領域を責める人間として成長してしまいます。
結果として起こってくることは,自分がまいた種(自分がしたこと)である,
ということを私たち大人は,自分の行動とそして,愛を持って子ども達に伝えていきたいと思います。
実は,おとなにとっても難しいことなのですが・・・。まずは自分自身の中にしっかりと落としていきたいと思います。
とうとう待ちわびていた冬休み♪今でもそうですが,中学生のころは本当に嬉しかったなあ♪
”責任を持つ”ということは,難しいことですね。どうしても言い逃れをしてしまって,責任転嫁してしまったり…。自分の責任だと分かっているのに,言い訳しちゃったり…教える方も理解する方も大変だと思います。私も思わずしてしまう時があります。私は教員を目指しているし,いつかは結婚して,家庭を持ちたいと思っています。そのために,自分でもしっかり自覚していきたいと改めて思えました
「責任」ですか、、元々は「責めるに任せる」から来た言葉ですね。色々な言葉の意味がありますね。責任を自覚できることが、大人の条件の1つですね。
イブは,楽しく過ごせましたか?
やらないための責任逃れが自分の中にもたくさんあるなぁと自覚する姫です。
ひとつずつ,だよね。気づくことが第一歩なのかなって,思っています。姫も自分の心の奥に聞いてみるようにしています。
寒い日が続きます。元気ですごそうね。
「責めるに任せる」・・・なるほど。
ふだん何気なく使っていることばの重みを痛感する今日この頃です。