前回の記事「養護教諭=カウンセリングという図式に?」、「来室者61名」の記事に、個人メールやコメントなど、たくさんいただきました。
共感してくださる方や励ましのことばやアドバイスなど、たくさんいただきました。
ありがとうございます。
NLPを学び始めたころから、たくさんの人に出会いました。多くの本にも出会っています。
一番大切なのは、どの理論がいいとか悪いとかではなく、あり方が大切であるということを感じています。
私には、とても苦手な人がいます。
一時は、憎んでも憎みきれないほどの感情がありました。
かなりのマイナスアンカーになってしまっていて、顔を見たり声を聞いただけでその人とのいろいろな出来事がフラッシュバックして、
どうにもならないほどの不安感に襲われていました。
その感情をはずすためにさまざまな本を読んだり、いろいろなセラピーを受けたりしてきましたが、それは、どうしてもはずすことができませんでした。
あまりにつよい負の感情は、意識レベルでは帰ることができません。それをはずせない自分をずっとずっと責めてきました。
劇的な信念の変化をもたらすNLPの手法においても、はずすことができませんでした。それは、なぜか。
潜在意識の深い深い部分で、そのことで得ている何かがあるからでしょう。
あるいは、「そこから何かを学べ」という私のカルマなのかもしれないと思っています。
それでも、多くの人の出会いとさまざまな学びの中で得たことは、少しずつですが、私の心を癒してきたのだということが、最近になってわかってきました。
今、私の中で変わりつつあること。
「ありがとう」をたくさん言おう、というのは最近、いろいろな本やセミナーでも提唱されています。
今年、知り合った岐阜の中村司先生(東洋医学・難病請負人)は、「ありがとう療法」を実践され効果を出されています。
彼が提唱する「1日5000回」は、なかなかできませんが、このお話を聞いてから、できるだけ「ありがとう」を言うようにしています。
通勤中の車の中。一人でぶつぶつ言っています。
お風呂の中で言っています。
はじめは、ただ「ありがとう」の数を数えるのが精一杯でした。
そのうち、周りの風景やたんぼの稲、すれ違う車に対してありがとうを伝えるつもりで言うようにしました。
次には、自分の家族やお世話になっている仲間、かかわりのある人たち、生徒たちにありが塔を伝えるつもりで言うようになりました。
でも、まだその段階では、「嫌いな人にありがとうという」という域にはどうしても、達することができませんでした。
それが、少しずつやってみることができるようになりました。
その人への感情
まだ、こだわりがあって、意識より先に体とか感覚が反応してしまっています。
きっと、二度と分かり合えることもないし、心が触れ合うこともないと思っています。
それでも、その人のために祈ることができるようになった自分を、少しずつ認めてあげたいと思っています。
人間の成長は、らせん状であるといいます。
下に下がったと思っていても、それを乗り越えたときは、その前よりも上に上がっている。
まだまだ、これから.
よくなりたいって思っている限り、人間は「今から ここから」なんですね。
元気の出るメッセージをありがとうございました。
わたしもちょっとしたことでも「ありがとう」って言えるようになろうと思いました。・:*:・(*´ー`*人)。・:*:
ブログに来てくれてありがとう。
なーんか、ネットってすごいよね。
こうやって卒業生に時間と空間を越えてあえちゃうんだもんね。
ありがとうのことばは、人の細胞の水をきれいにするよ。だから、みんながたくさん言えば、きっと地球はもっとすてきな場所になるよね。