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太閤山荘3 紅葉谷庭園(鷹峯散策13)


写真は、紅葉谷庭園

元はため池周囲の紅葉が見事で、紅葉の名所だったそうです。
しばらく忘れ去られていたものを、再度手入れされて公開しています。
こちらも通年公開ではなく、春と秋を中心に公開しておられます。

入園料は300円ですが、太閤山荘とセットで700円です。

太閤山荘を出て右に進み、少し先に進むと左手に坂があります。
坂の右端にはコンクリートで後付けの階段が造られています。
この階段を下っていくと、庭園の北側に着きます。
中央に巨大な池があり、この周囲に紅葉が茂ります。
秋は紅葉が非常にきれいです。
池は北側から南へ、そして南側から西へと広がるL字型です。

ちょうど南側の角にあたる部分に、南側の受付があります。
またそこにはプレハブのお茶室もあります(建築法上、現地での建築は出来ないそうです)。
ここから北側を見ると、紅葉谷の先に太閤山荘が見えます。

池の周囲を南側から西へ歩いた奥に、池に紅葉がしだれかかる臥龍紅葉があります。

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2015 6/6の拝観報告1(霊源院 甘露庭公開)


写真は、茶室 妙喜庵。

さて6月第1土曜日です。
この日もいろいろありました。
順にまわって行きます。

あんとんさまとは祇園四条駅に10:00と遅めの集合。
まずは花見小路通から建仁寺の霊源院へ。

5/17~6/14まで甘茶の庭 甘露庭の公開がありました。
内容は早々に行かれた松戸在住さまが示された通り、京の冬の旅で公開された時と同じです。
重文の中厳円月坐像と、その胎内仏であった毘沙門天像の他に柳澤元政夫妻像のお軸などがありました。

そして庭園へ。
今回は庭園一面に甘茶が咲いており、非常にきれいでした。
本編の写真も入れ替えました。
また今回は少しですが、庭園に降りることも出来ました。
庭園の右手から出て、庭園の途中にある結界まで行けました。

庭園の甘茶以外は同じでしたが、それでも甘茶がきれいに咲いた庭園はよかったです。

10:20頃に出ました。



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太閤山荘2 古田織部美術館 擁翠亭(鷹峯散策12)


写真は、擁翠亭。

正面の廊下を庭園沿いに進むと土蔵に続きます。
この土蔵の1階と2かいが古田織部美術館になっています。
中はそれ程広くはないですが、ガラスケースの展示室に改装されています。
秀吉の書状、織部書いた手紙、織部好みの梅鉢香合や黒織部茶碗などが展示されていました。

この古田織部美術館に隣接した庭園内に、お茶室の擁翠亭(ようすいてい)があります。
もともとは鞍馬口の擁翠園に小堀遠州が建てたものです。
後に解体されましたが部材は残されており、今回それらを再度組み立て直されました。

お茶室は書院からもよく見えます。
さらに1人1500円で擁翠亭内部を見学できます(呈茶付き)。

まず太閤の間から外へ出ます。
庭園には一面の白砂が拡がります。
その中の飛び石を進むと中潜(なかくぐり)があります。
中潜の向こうは書院、土蔵に囲われた露地転園で、奥に擁翠亭があります。
庭園の手前は一面の苔で、茶室の前は枯山水の川に石橋が架かります。

擁翠亭の内部は3畳台目と2畳の控えの間、さらに奥に水屋からなります。
小堀遠州好みで“十三窓席”とも云われ、窓が13個と非常に多いです。
ですのですべての窓を開けると、非常に開放的です。
また実用性にも考慮され、茶室の天井の高さの差を利用して、エアコンの送風口が設置されています。




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2015 6/2の拝観報告9 最終(京都文化博物館 大関ヶ原展)


写真は、京都文化博物館

太閤山荘を16:20頃に出て、玄琢下→紫竹西通→北山通→堀川通→紫明通→烏丸通→姉小路通と進み、東洞院通周辺のコインパーキングに駐車し、やってきたのが京都文化博物館です。
この日は大関ヶ原展の初日。

以前からお話していますが、僕の京都めぐりはそもそも戦国時代好き→大徳寺の塔頭→京都の神社仏閣と派生してきているので、
むしろ京都のに神社仏閣より、戦国時代の方がずっと詳しいのです(笑)!
高校時代ぐらいから戦国時代の本を読み漁り、今も家に約200冊の蔵書があります。

その上での大関ヶ原展。
テンションが上らないハズがありません(笑)。

近年の刀剣乱舞というゲームの影響で、東京での大関ヶ原展も盛況だったと聞いていたので、前売り券を購入していました。
しかし初日とはいえ、平日。
結構空いていて、ゆっくり見られました。

さて展示の内容の感想です。
まずは唯一の国宝の徳川家康書状。上杉景勝宛てです。
個人的にはそれほどの喰いつきでもなし(笑)。

大徳寺 大慈院の立花宗茂像。
大慈院が立花氏が開基と知っていたので尚更です。
それに依然、萬福寺の別峰院で、お寺の方が「あの柳川藩の・・・」と、名前が出てこなかった時に僕が「立花家ですか。」と言った下りがありました。
その立花が、この立花宗茂だとあんとんさまに脳内で情報をつなげて頂きました(笑)。
ましてや本多忠勝を知っていて、立花宗茂を知らないのは戦国通的には”ない”です。
「東の本多忠勝、西の立花宗茂」と並び称された猛将ですからね。

真田昌幸像。
これもよく見る画です。
昌幸といえば、コレ。

また展示室の壁に合計20枚ほどの武将説明のパネルがありますが、全員自分で説明出来きました。
そのなかに「真田信繁」が。
すかさずあんとんさまに「この人、知ってる?」と。
あんとんさま「信繁・・・?」。
僕「絶対に知ってるから、読んでみ」と。
「幸村」のことなんですよ。
真田幸村は自身のことを幸村と名乗ったことはないです。
そのことや本名の信繁の由来についても、現地であんとんさまに解説(笑)。
ウルサイおっさんでゴメンナサイね(笑)。

豊国神社の骨喰藤四郎は、前述の刀剣乱舞二にも出てくるようですし、僕も名前は知っていました。

知恩院 重文の徳川家康坐像は、春の非公開文化財の際に権現堂で公開されたものでしょうね。
あの時は遠かったですが、今回はガラス越しなものの、すぐそこでした。

最後はもうコレ。
前期最初の2週間の目玉。
初花肩衝です。
四方からマジマジと観せて頂き、2周目でも観させて頂きました。

あっという間に18:00の閉館。
後期も行きたいなと思いつつ、自宅へ帰りました。

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太閤山荘1 書院(鷹峯散策11)


写真は、書院と庭園(中央奥に中潜り)

歴史関係の書籍を出版されている宮帯出版社が所有している山荘です。
古田織部美術館が併設されています。

アクセス
おおまかには、鷹峯 常照寺の裏側にあります。
北大路バスターミナルから市バス北1系統に乗ります。
源光庵、常照寺を通過して、坂を下ってくる途中の釈迦谷口で下車します。
バス停を降りて、左手前に伸びる氷室道に進みます。
坂を一旦下ってまた上り、バス停から約550mでヘアピンの左折路があるので、ここに進みます。
道なりに約120m進んだ左手に、太閤山荘があります。

1年の間、かなり長期に公開しておられますが、展示替えの際に1週間程休館になることがあります。
詳しくはHPでご確認ください。

表門を入ると正面に玄関、左手に露地庭園への柴折戸があります。
玄関から上がります。
入館料は500円です。
右手には8畳ほどの洋室、正面には2階への階段、左手に廊下が続きます。

2階へ上がると床の間のある広間です。
南側は一面窓で、紅葉谷の景色が一望できます。
またこの部屋の扁額は橋本関節の筆です。

1階の廊下を進みます。
途中に段差があり、廊下が正面と左手に分かれます。
左手に進むと書院で、8畳の広間の太閤の間があります。
床の間は二重落とし掛けで、天袋が斜めになっています。
縁に沿って露地庭園があり、庭園の奥にはお茶室の擁翠亭がみえます。

正面の廊下途中の右手には8畳の奥書院 化龍亭(けりゅうてい)があります。
室内の意匠は竹をモチーフにしており、窓外には瀧の石組が中央に見えます。




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2015 6/2の拝観報告8(太閤山荘)


写真は、茶室 擁翠亭の内部

寺町の阿弥陀寺を出て、寺町通→上御霊前通→烏丸通→北大路通→堀川通→北山通→紫竹西通と進み、玄琢下で左折してやって来たのが、太閤山荘です。
15:15頃でした。
こちらでは擁翠亭というお茶室を造っておられ、その完成が5月中旬ぐらいとお伺いしていました。
6月ならもう出来ているだろうと思い、やってきました。

しかし今回何となく来たものの、そのすごい”ご縁”を感じることになりました。

話しは昨年の秋に遡ります。
こちらの擁翠亭の露地庭園を作成するにあたって、擁翠園庭園の見学をこちらの社長が希望されていました。しかしなかなか許可が出ないのでいろいろ調べた結果、このブログに行きつかれたそうです。そして写真のデーターだけでも欲しいということでコメントが来ました。
コメントを頂いた直後の11/21にたまたま太閤山荘に行く予定でしたので、データーを持て行ったのですが、さらにたまたま その連続で擁翠園の見学予定でしたので、同行することになったのです。
作庭の参考になったと、非常に喜んでおられました。

そんな経緯があったので、僕も擁翠亭の露地庭園が気になっていました。
そこで今回来たら、なんと5/31にやっとお茶室と露地庭園が完成したところ。
つまり僕たちが、お茶室に入った一般参観者第1号だったのです!
これ、偶然なんですよ。
奇しき因縁とは、このことでしょう(笑)!

これを知ってテンションが上ってしまった僕は、説明員の方に上記の経過を説明してよろしくお伝えするようにお願いしました。
するとすぐに社長に連絡が入り、なんとわざわざ太閤山荘まで即座に来て説明までして下さいました。
太閤山荘を16:20頃に失礼致しました。

また太閤山荘の本編は、この擁翠亭待ちでしたので、明日から3日連続で本編を掲載します。

庭園も見違えるほどきれいになりました。

また本日6/20から夏季展が始まっているので、是非行ってみてください!

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西方寺 五ヶ庄


写真は、本堂

西方寺(さいほうじ)は宇治の五ヶ庄にある浄土宗寺院で、参道の途中に京阪電車の踏切があるのが印象的です。

アクセス
最寄りの駅は京阪電車の黄檗駅です。
京都方面から黄檗駅で下車すると右斜めに五ヶ庄郵便局があるので、この脇の道を進みます。道なりに左に曲がり、やがて左手から道に合流するので、そのまま直進します。
ここから約400m先の左手に西方寺の石畳の参道があります。
参道を横切って京阪電車の踏切があります。

突然お伺いしても御在宅であれば本堂などにお参りさせて頂けますが、事前に連絡した方が親切でしょう。
TELはwebでも探すのが大変なので掲載しておきます(0774-31-8532)。

弥陀次郎伝説
昔、巨椋池の一口(いもあらい)に悪次郎という暴れ者の漁師がいました。
そこに托鉢の僧が来たので追い返したのですが、毎日来るため業を煮やして悪次郎はその托鉢の僧の頬に焼串を当てました。しかしその僧は無言で去っていくため不審に思い後を追うと、粟生光明寺の堂内に消えて行きました。悪次郎が堂内に入ると誰もいませんでしたが、仏様の頬にやけどの跡が残っていました。それ以降改心し、念仏に励んだ悪次郎は、阿弥陀のような次郎ということで“弥陀次郎”といわれるようになったということです。

踏切を渡り、表門をくぐります。
石畳の参道奥の正面に本堂、右手奥に庫裏、右手手前に弘法大師像がお祀りされているお堂、左手奥に墓地への門があります。

庫裏にお掛けをして、本堂に正面から入ります。
本堂内陣中央には善光寺式の本尊 阿弥陀三尊像がお祀りされています。
本堂の左手には弥陀次郎像、右手には近衛兼経の位牌がお祀りされています。
中世この辺りは近衛家の所領だったためです。

本堂の右手から出て右手奥の書院へ。
書院の前庭は手前に細い川が流れ、石橋が架かります。
中央に巨石があります。
これは背後にある二子塚古墳から出土した石室の一部で、大正時代に京阪電車のを敷設した際に出てきたものをこちらに置いたのだそうです。
さらに左手奥の丘陵の上には近衛兼経の傘卒塔婆の石塔があります。

庭園には墓地の門から本堂の左手から回り込むと入れ、散策できます(当然許可は必要)。

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2015 6/2の拝観報告7(阿弥陀寺 信長忌)


写真は、信長忌の表門

妙顕寺を14:20に出ました。
本来次の場所にはまだ余裕があるのと、ちょうど15:00前ということで、急遽向かったのがた寺町通の阿弥陀寺です。

6/2といえば・・・そう、本能寺の変!
ということで信長忌が行われていました。

信長忌は15:00で終了だったからでしょうか、駐車場も停めさせて下さいました。
更に到着した14:30にはちょうど法話も終わり、宝物や本堂内部が見放題!?でした。

詳細は本編を参照してください。

本能寺の変で討ち死にしたものの過去帳などもありましたね。
変わったところといえば、2年前は何の注意書きもなかったのですが、今回は本堂内「撮影禁止」になっていました。

また信長の廟所にも行ったのですが、ツアーで来ている方もおられました。
結構マニアックなツアーですよね(笑)。

15:00には完全に終わられるようで、着々と片づけをされていました。

ギリギリのタイミングでしたね。

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妙顕寺 泉妙院


写真は、光琳忌の表門

泉妙院(せんみょういん)は妙顕寺の塔頭寺院で、尾形光琳や乾山、その一族のお墓があります。

アクセス
堀川今出川からさらに北に進み、寺ノ内通へ右折します。
最寄りのバス停は堀川寺ノ内です。
宝鏡寺を通過して約180m先の左手に妙顕寺の山門があり、さらに約20m先の左手に泉妙院の表門があります。

尾形光琳は1716年6/2に亡くなっており、当初は尾形家菩提寺の興善院に葬られたそうです。
やがて後継が途絶え無住となり、墓のみが残り本行院の管下に入りました。
そして1743年6/2には乾山が亡くなっています。
1815年光琳没後100年に、酒井抱一が光琳の墓石を探したものの見つからなかったため、本行院跡に碑を立てたそうです。
しかし1823年に尾形乾山の墓を発見できたそうです。
その後、本行院は泉妙院と合併し再建されました。
1962年に光琳らの墓石は、総墓所からかつての埋葬地である泉妙院に戻されたそうです。

通常表門は閉まっていますが、6/2の光琳忌の際は開門しています。

表門を入ると正面にお墓が並んでおり、右手は小さな枯山水庭園のようになっています。
右手の奥に庫裏などがあります。

表門を入って正面の”長江軒青々光琳墓”と彫られた墓石は、1815年の光琳没後100年に酒井抱一が建てたものです。
その右側にあるのは、1962年に総墓地から移された弟乾山ら光琳一族の墓石だそうです。
一番右端にあるのは三越が建立した供養塔だそうです。

本堂
2019年11/17~11/30に開催されたまるごと美術館で、本堂内部に入れました。
お墓の右手にある民家の1階が書院、2階が本堂です。
1階の玄関を入ると廊下を経て正面に1間あり、その奥に8畳間
そしてその左手にも床の間がある8畳間があり、茶道の稽古場としても使われています。
廊下を左手に進んで2階へ上がると内陣があります。
本堂の内陣中央には日蓮上人像、釈迦如来像と多宝如来像の二尊がお祀りされています。
右の脇壇には鬼子母神像、左の脇壇には中興の祖である日法上人像がお祀りされていました。



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2015 6/2の拝観報告6(泉妙院 光琳忌)


写真は、泉妙院にある尾形光琳のお墓

妙顕寺の表門から出て、左手へ。

少し先に塔頭の泉妙院があり、こちらに尾形光琳の墓所があります。

通常は門が閉まっているのですが、この日は開門されているとの情報を得てやってきました。

結果はご覧のとおり、開門されていました。
しかしいかに琳派400年記念の年と言えども、これは平日かつマニアックだったようで、誰もおられませんでした(笑)。

昨年までは6/2に光琳乾山忌で法要をこちらでされていたようですが、今年は本山の大光琳祭に巻き込まれた!?ようです(笑)。

小さな塔頭で特にどうということはないのですが、いつもは閉門しており近寄れない光琳のお墓に近くでお参り出来たのでよかったです。

また詳細は明日の本編に掲載します。

14:20頃に妙顕寺を出ました。

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歓喜光寺


写真は、本堂

歓喜光寺(かんきこうじ)は、山科にある時宗の本山寺院です。

アクセス
国道1号線を東へ走り、外環状線との交差点である東野で右折します。
約800m先に椥辻(なぎつじ)の交差点があるので、これを左折します。
道なりに約600m進むと奈良街道と交差するので、ここを右折します。
奈良街道を直進して、名神高速道路の高架下をくぐります。
そこから約700m先の左手「卓球場」の赤い看板のある角を左折します。
この道の突き当りに歓喜光寺があります。

石段を登ると表門があります。
表門をくぐると右手に地蔵堂があり、地蔵菩薩像がお祀りされています。
このさらに右手奥には地蔵の石仏がたくさん並んでいます。

表門の正面からまっすぐに続く石畳の参道を進みます。
やがて正面に枯山水庭園が現れ、右手に寺務所が出てきます。
さらに奥に進むと、右手に本堂、その奥に大日如来の大きな石仏があります。

本堂は合併した法国寺の本堂を復元したものです。
本堂内陣には本尊の阿弥陀如来像が、右手には一遍上人像などがお祀りされていました。



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2015 6/2の拝観報告5(妙顕寺 大光琳祭)


写真は、大光琳祭の本堂

蕪庵を14:00前に出て、北大路通→堀川通→上御霊前通と進み、妙覚寺周辺のコインパーキングに駐車します。
裏手からまわってやってきたのが、妙顕寺です。

妙顕寺は寺ノ内通に面していますが、寺ノ内通にコインパーキングはほとんどありません。
しかし一本北の上御陵前通には結構あるので、こちらに停めるのがおすすめです。

さて6/2は尾形光琳と乾山の命日。
しかも今年は光琳の300回忌ということで、大々的に大光琳祭を行われることになりました。

庫裏で受付をします。
本堂へは3,000円、庭園と宝物館の拝観なら500円でした。
本堂は法要の真っ最中でもあったので、今回は後者にしました。

京の冬の旅では後期に来たので、酒井抱一の観世音図を見損ねたので、そのリベンジが最大の目的でした。
その他には”後醍醐天皇綸旨(重文)”や、米粒ぐらい小さな字の日像上人筆”極細字法華経(重文)”など、冬の旅でみたもののありましたが、
日蓮上人筆の”神国王御書(重文)”は、初めてみたように思いました。

庭園も観て、庫裏から出ます。
表にまわると、この日は通常閉まっている本堂が全開でした。
しかも中からは神社で聞こえてくる雅楽が聞こえてきました。

この辺りは遠目に観察します(笑)。

そしてこの日忘れてはならないもう1ヵ所へ参ります。

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蕪庵


写真は、庭園

蕪庵(ぶあん)は、下鴨神社北側の住宅街の中にある広東料理店です。

アクセス
公共交通機関の場合 
下鴨本通沿いの一本松のバス停で下車します。
バス停北側の信号のある交差点から松ヶ崎通を東へ進みます。
100m程進むと小さな橋があり、その先を左折します。
さらに約70m先の右手に、蕪庵の表門があります。
車の場合
駐車場は表門とは反対の裏手にあります。
北大路通を東から西へ進みます。
右手にかごの屋が見える次の一方通行の交差点を左折します。
さらに約120m先の左手に、蕪庵の駐車場の入口があります。

開店当時の昭和5年、この周辺が一面の蕪畑だったことから、“蕪庵”と名付けられたそうです。

表門から入り、石畳の細い道を進みます。
すると正面に庭園の枯山水の池が現れ、その奥に本館があります。
この枯山水の池から左手に進むと芝生の庭園が広く開け、左手突き当りに離れがあります。

玄関から本館に上がってすぐ左手の個室に通されました。
コースは、6,300円、8,400円、10,500円や12,600円などがあります。
食事はまず大皿で持って来て提示した後に、1人分に小分けにして下さいます。
6,300円のコースでした
・鯛の刺身(中華風)
・エビの中華風てんぷら
・カニのスープ
・牛肉とチンゲン菜の炒め物
・ホタテ、ホッキガイと鱧の炒め物
・酢豚
・あさりのお汁
・チャーハン
・抹茶プリン
の9品。
いずれも素材が良さそうで、結構おなか一杯になりました。

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2015 6/2の拝観報告4(蕪庵)


写真は、本館の玄関

安楽寺を11:30頃に出て、鹿ケ谷通→今出川通→白川通→北大路通と進み、下鴨本通の2本手前で左折します。
この奥にあるのが、広東料理の蕪庵(ぶあん)です。
庭園のある料亭系です。

以前から行こう、行こうと言っていたのですが、
・立地の問題(結構北にある)
・コストの問題(最低でも1人6000円)
で、後回しになっていました。

今回拝観コースを考えていたら、ちょうどお昼頃にこの辺りを通過しそうでしたので、思い切って予約していました。

住宅街の中にあり、大通りに面していないので、ちゃんと調べないと到達困難です(笑)。
駐車場は裏口側にあったので、僕とあんとんさまは「駐車場に車を停めてから一旦敷地外に出て、外を回り込んで表門から入り」ました。
庭園派的には、表門から入るのが”お作法”です(笑)。

後におかみさんが、「お車で来られたんですか。でしたら帰りは表も見ていって下さい」とおしゃったので、上記の顛末を説明すると、
「いや、そんなんしてくれはったんですか。皆さんスッと裏から入られるんで、うれしいです。」とおっしゃって下さいました(笑)。

表門から石畳の道を進み、本館へ。
本館の玄関もいい感じです。
お部屋は玄関を入ってすぐ左手の小さめの個室。
こういうお店に2人で行くと、大抵はこういう手前の小さめの個室になるんですよね。
大き目のお部屋は普通奥でしょう。
なかなか奥まで入れないのが難点です(笑)。

お料理は全9品。
僕が頂いた感じでは、素材もなかなかいいモノとを使われているようでした。
小皿に取り分けて下さり、少しずつ頂くのですが、結構お腹いっぱいでした。

コースで順に出てくるので、12:00に入って13:45ぐらいまでお食事をしていました。

お会計の後、最後に庭園を散策しました。
写真でよく見る建物は、離れのようですね。
お庭は芝生の枯山水でした。

詳細や庭園のお写真は、明日の本編で掲載します。

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岩屋神社


写真は、拝殿と本殿

岩屋神社は、巨大な磐座を祀る磐座信仰を起源とする山科にある神社です。

アクセス
国道1号線を東へ走り、外環状線との交差点である東野で右折します。
約800m先に椥辻(なぎつじ)の交差点があるので、これを左折します。
道なりに約600m進むと奈良街道と交差するので、ここを右折します。
200m先に岩屋神社前の交差点があるので、左折して鳥居をくぐります。
直進して名神高速道路の高架下をくぐると、左手に坂道と高速沿いの平面の道があるので、坂道の方を登ります。
坂が右カーブしながら登った先の左手に岩屋神社の駐車場があります。

一ノ鳥居をくぐると、左手に社務所、正面に拝殿、その奥に本殿があります。

境内社もたくさんあります。
本殿の右手裏に蛭子社、左手裏に大神宮、本殿左隣に稲荷社、左手奥に八幡宮そして住吉社、山王社と天満宮が並びます。

さらに奥に進み400m程山を登ると、陰陽の両岩がお祀りされている奥の院があります。

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