「競争やめたら学力世界一」の国、フィンランドでは、宿題はありません。自宅に帰って勉強する時間は、多くても30分くらいだといいます。
このこと、皆さんは想像できますか?
私たち「地球上から宿題を絶滅させる友の会」は、必ずしも宿題が嫌いだから絶滅させたいのではありません。(私個人は嫌いだったから大きな理由でしたが)
世の中をたくましく生きていける大人になるために、また、こころ豊な人間として育つために、宿題は子どもにとって貴重な自由な時間を奪う最大阻害要因だと確信しているから無くしたいのです。
教科書中心の勉強だけに、これ以上多くの時間を割くことは、百害あって一理もありません。
本来、人間だれにとっても「自由な時間」こそ、最高の贈り物のはずです。
ましてや生産労働からは開放されている子どものことです。
コロナの行動規制はあるものの、3密さえ気をつければ何をやってもいいはずです。
ところが、悲しいかな今の子どもたちは、遊びの時間でさえ、登下校の時間から始まって、スポーツなどで楽しむ時間も含めて、ほとんどの時間が大人の監視下でしか過ごせていないのが実情です。
いきなり放り出されても、自由に遊ぶこと自体、誰かに教えて貰わなければ何もできなくなっているのかもしれません。
いま学校の休業期間が長引いて、オンライン学習なども始まっていますが、勉強の遅れが心配なので、もっと宿題を出して欲しいと子どもたち自身が言っているという話には、ホント驚かされましたが、子どもの育つ環境自体が、すでにそこまで深刻な状況になっているようです。
確かに今の教育システムをすぐに変えることは難しいかもしれません。
だとすると、この教育システムに順応できない子どもたちにとっては、今こそが絶好のチャンスです。
現行の教育システムの枠内にいられる子どもたちは、この休み期間に教科書の予習、復習をしっかりしているかどうかで大きな差が出るかもしれません。
でも、現状の教育システムに馴染めなかった子どもたちには、一気にフィンランド式教育に近づき、自分の興味のあること(学校の勉強に限らない)ことを思う存分学び、経験し、社会に出たときのたくましさや、真の学力を身につけ、学校内に止まる子どもたちに大きな差をつけられるチャンスであるはずです。
テストも宿題も偏差値も受験もない環境が、学力世界一になることがすでに立証されているからです。
すべての子どもが同じ教科書を使って、同じスピードで学んでいくという、本来の教育としては拷問に近い不条理な環境から開放されるわけです。そこでは、子どもの興味を持ったことこそを教師や周りの大人が支援することが第一の教育活動になります。
フィンランドからアメリカに一時留学した子どもたちは、選択問題があることがとても苦痛だったと言います。選択問題は、それまで馴染んでいた教育、つまり自分で考えて答えを出すことではなく。結果を知っているかどうかばかりが問われるからです。
日本では記述式問題が増えたら、公平な評価が難しくなると言って、見送るということがありました。
そもそも点数をつけて順番を決めることが第一の目標としていない教育では、仮に試験があったらその場で、問題を考える時間、自分で出した答えを検証する時間こそが大事な時間であって、どの問題が間違っていたか、どうするべきだったかを検証する時間も持たずに、結果の点数順位だけが告げられる教育環境などは、子どもに対するいじめレベルの教育であるとさえ言えます。
それでもまだそんな一部の子どもしかできないような環境の話をして、どうするんだというような反論も返ってきそうですが、一人ひとりの子どもが違うのだという前提を認めない古いベルトコンベア式教育にしがみつくメリットは、もう何もありません。
はみ出しっ子こそが、間違いなく明日の日本をつくってくれるのですから。
以上の記事は、【7日間ブックカバーチャレンジ】のルール破りで、本に関わる内容を書いたものを転載させていただきました。
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