電車に乗っていたら、最近お世話になっている社長さんにちょっと似た風貌の人が、やや色あせたコートを着てたっていた。
なにとはなく、目があいふたりで電車を降りて一緒の方向にひきつられていく。
この人はいったい何をしている人なのだろうか?
一見、ただの浮浪者のようにも見える。
ぎらついた感じではないが、なんとなくただものではない雰囲気もある。
なんの会話をしたわけでもないが、私はただその人の後をついていく。
するとガード脇の路地を入ってコンクリートの古い建物のなかにひきつれられて入る。
ここの出入りは、その気になれな誰でも自由にできる場所で、後ろから子どもたちがかくれんぼの場所としてかけぬけて遊んでいる。
さらに薄汚れた通路を通って2階へあがる。
すると広い空間に箱に詰められた沢山のレコードや古いステレオ、アンプ類がずらりと無造作に積み上げられている。
レコードの箱を手前から見ると、マイルスやブルーノートの復刻シリーズなどがまとまってあり、量の多いわりには、マニアックなところを突っ込んでいるようには見えない。
どうやら、ここがこの人の生活の場であるらしい。
鉄道のガード下の空間なので、安く借りられているのかとも思えるが、なんとなく誰も管理者がいない空間に、この人が勝手に住み着いているだけのようにも見える。
そう思えるのは、さっき子どもたちが遊んでいたところとは、なんの境も無く、そのままこの空間に続いているからだ。
現に子どもたちは、なんのためらいもなくこの部屋を通り抜けて、奥の部屋へ行き、
そこでまだ別の遊びをはじめている。
それをこの60代くらいと思われるおじさんは、困ったようでもなく、ただ日常の風景としてなんの気にもとめないように見過ごしている。
時より子どもたちが通過するものの、一応ふたりだけの空間で座ることができたので、
おじさんはいったい何をやっている人なのですかと思いきって聞いてみた。
するとそのおじさんは、一枚の紙に書かれた自分の経歴、といってもそれは過去にしてきた三つのことを箇条書きにしたものをわたしてくれた。
それは、これまでの人生が3つの時期に分かれていて、それぞれまったく違う生き方をしてきたというものだった。
3つそれぞれが、とてつもなく突飛な生き方だったのだけれども、それがどのようなものだったか肝心なことを今思い出せない。
ただ、今がその3つの生き方の3番目の時期にあたり、なにも所有せず、なににも属さず、こだわりを捨ててなおかつ何の不自由もすることなく生きているのだということだ。
でも、風貌からは、現代風の「自由人」として個性を主張するといった感じではなく、普通の身なりでまわりから目立つこともなく、風景のなかに溶け込んで周囲の誰に気づかれること無く生きているようだ。
それが、ここの子どもたちとの接し方にあらわれている。
格別に子ども好きというわけでもなさそうだけれども、子どもたちが自然によってきて、世話をするわけでもないのに、何か見慣れない遊びをときどきいっしょにしながら、何かを伝えているような感じだ。
しばらくすると、そこにいる子どもたちといっしょにこれから山へハイキングにいくというので、またついていくことになった。
ところが、山の入り口を歩き出すと間もなく、ものすごいドシャ降りの雨になって、急遽、道端でシートを張って、簡易テントをつくることになった。
テントの足場作りも、雑草、草木のよけかた慣らし方が、妙に手際がいい。
すると、山の上から若い体格のしっかりとした青年が、駆け足で降りてきた。
ものすごい軽装であるが、もう山頂から降りてきたところだという。
聞くと世界各地の高峰をいくつも登ってきた経歴もある人らしい。
またしばらくすると下から町役場の人があがってきた。
上で遭難事故が起きという。
その事故処理で何かもめているとのこと。
事故当時の現場の状況を誰か証言してほしいらしいが、現場にいたものが誰もいない。
天候状況や道の様子など、その山から下りてきた青年こそ、もっとも適任ではないかと思うのだけれど、彼はこれからすぐに外国へたつのだという。
残るは、私にどうしても証言してほしいという雲行きになってきた。
ここ鳥取(なぜ鳥取、いつのまに鳥取?)まで、群馬から日をあらためてまた来るのか?
そんな余裕はない。
でも他に出来る人はだれもいない。
なんのめぐりあわせだかはわからないが、またここまで来るとするか。
(以上、今朝の夢の記憶)
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