花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

永島慎二さん逝く

2005年07月08日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
画家の永島慎二さんが亡くなった。享年67歳。永島さんの漫画に出会ったのは、いまから40年近く前のこと。言い切ってしまえば、私の青春時代の真っ只中でありました。
林堂から「ガロ」という月刊誌が出ていて、そこに掲載されていたのが「かかしがきいた、かえるのはなし」でした。
い畑地に案山子が立っていました。そこへ一匹の、旅を続けるかえるが通りかかります。かえるは案山子の下で一休みします。そして案山子に問いかけます。ある夜、月へ向かう列車が出ます。私はその駅を探して旅を続けているのですが、その駅がどこにあるのか、案山子さん知りませんか?
山子は答えます。その駅はあの丘を越えた向こうにあります。あなたの長かった旅も、もうすぐ終わりですよ。それを聞いたかえるは喜んで、再び旅を続けていきます。
いぶん長い間、私はここにこうして立っていた。何のために、ここにこうして立っているのかが分からずに。今、ようやくその意味が、分かったような気がする。
って行くかえるを見送りながら、案山子はその生涯を終えます。ドドーッと風が吹く畑の中で。
山子は永島さんで、かえるは若い読者でしょうか?生きる意味を大上段で考え悩んでいた青春時代。案山子は、一人の伝道師のようにも受け取れます。漫画を超えた含蓄のあるストーリーに、私はすっかり魅せられました。「たかが、漫画じゃあ、ありませんか。ねえ」永島さんは自作の中で、笑い飛ばそうとしますが、たかが漫画では済まされなかったのです。
粋に生きようとした永島さんでしたが、その後、銃刀法不法所持の罪にかかったことがあり、私も少し失望して離れてしまいました。
宿でフーテンをしていた永島さん。あの事件は、いったいなんだったのでしょうか。それなりの事情があったのでしょうが、今はその知る由もありません。
なたの描いた漫画は、すでに青春時代を終えた多くの読者の胸に、しっかりと残されています。