花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

そんなのがありました ありました

2006年02月13日 | レモン色の町
昭和30年代の生活は、すっかり遠い昔になってしまった。懐かしいの一言で片付けられるようになった。
今、なぜ懐かしいの一言がもてはやされるのか。ある動物研究家によると、壁に突き当たったとき、フィールドワークに活路を求めるからだそうだ。ナンノコッチャ。懐かしいまま、懐かしいものを、思いつくまま羅列してみよう。
イパーの殺虫剤。これは「三丁目の夕日の秘密」のDVDに出ていた。頭に薬を入れ、ポンプ式にシュッシュッとハエに向かって吹きかけた。当時ハエは家中ブンブン飛んでいたからスプーレー式が出るまではそれを使っていた。体には余りよくなかっただろう。
エといえば、定期的に市がドブの溝を消毒に来た。押し車の先に下向きの筒がついていて、ドンドンドンという音と共に真っ白な煙が出ていた。それをドブに向かって放出する。あちこちからくさい煙が立ち上っていた。子供のオイラは恐怖の目でそれを覗いていた。
時は、おくどさんでご飯を炊き、木のおひつに移した。蓋の間に布巾をかける。湯気の水がご飯に落ちないようにするためだ。冬はおひつを布団に包んで保温した。朝炊いたご飯は夜まで暖かかった、と思う。
所のダイヤパンで、食パン1斤を厚切りにスライスしてもらい、トースターで焼いて食べた。2枚入れる。焼きあがると自動で飛び出す。焼き上がりが待ちきれないので、時々あげて焼き具合をみる。タイミングをはずすと真っ黒になった。
始めの洗濯機は円筒形だった。ゴオゴオと音がして底のプロペラが右に左に、ゆっくり回転していた。まもなく角型が出る。台の上にローラー式の絞り機がついていた。ローラーの間に挟んで手動で搾り出す。のしいか状に洗濯物が出てくるのが面白くてよく手伝った。指を挟んだりした。
ッピングというおもちゃが一時はやった。下がバネになっていて、一本足でぴょんぴょんと飛び跳ねる遊具だ。ただそれだけで何が面白かったのだろうか。すぐ廃って、フラフープが流行った。腸ねん転を起こすというので2年くらいで流行は収まった。次はダッコちゃんが出た。猫も杓子も腕に巻きつけて歩いた。今、そんな町を想像すると、おかしい。
邪を引くと、必ずタウリンエキスという薬を飲まされた。ガラス製のアンプルで中ほどがくびれている。ハート型の小さなヤスリでくびれたところをこすり、親指で押すとポンと折れる。短いストローで飲んだ。おるのが怖くて勇気が要った。なぜあんな難しい容器だったのだろう。
んなのがあったねえと懐かしがる方は、多分50歳代以上のお人だろう。