仏教には五戎(ごかい)がある。誤解ではない。これは誰もが守らなければならない。
みだりに生き物を殺したりしてはならない(不殺生戒)、泥棒してはならない(不偸盗戒)、みだらなセックスはダメ(不邪淫戒)、嘘ついたらダメ(不妄語戒)、酒もダメ(不飲酒戒)この五つですが、誰も守っているはずがない。これについて七日ごとに裁判が行なわれるのだ。
二七日目は、初江王(しょこうおう)が行なう。ここに賽の河原でのデータが届いている。主に生前殺生をしたかの審査が行なわれる。何とかごまかして次に進む。
三七日目は、宋帝王(そうていおう)。ふしだらなセックスをしてきたかが問われる。エーット、オイラは潔癖だけれど・・・一回だけ・・・ということで。嘘をつくと猫が男性の何に噛み付き、蛇が女性の何に向かう。おそろしや、ということで・・
四七日目は、五官王(ごかんおう)のところで、秤に乗せられる。嘘をついたものは即座に見破られる秤だ。嘘をつかないお方などいるはずがない、ここで地獄行きが決定されるが、もう少しの猶予をお願いすると、意外と簡単に次に進ませてくれる。
五七日目は、あの恐ろしい閻魔王(えんまおう)だ。浄波璃(じょうはり)という水晶の玉があって、今まで行なってきた悪いことがここに全部映し出される。ところがこの方意外に優しい。家族親族一同が集まって追善供養をしているかもしれないから、もう少し猶予をあげようとおっしゃる。だから、きちんと供養してあげなければならないのです。
六七日目は、変成王(へんじょうおう)がもう一度念を入れて審査する。さて最後の七七日目の裁判だ。ここでは泰山王(たいせんおう)が決を下す。地獄行きを覚悟して目をつむっていると、六つの鳥居を指差して、どれかを選べという。まだ猶予をくれるのだ。
六つの鳥居は、六道輪廻(ろくどうりんね)をあらわす。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天。この六つのどの道を進むか、皆同じ鳥居に見えて区別がつかない。この見分けは生前の業(ごう)によって決断できるのであります。だから生きているうちに徳(とく)を積んでおかないと変な道に行ってしまうのす。
意外に7人の裁判官は無責任です。結局、決を下さず自分で決めろとおっしゃる。それなら追善供養の必要はないのではと思いがちですが、まあ閻魔さんのところでもそうですが、いい方向への道が開かれることに間違いはないのです。
親鸞聖人は、こんなめんどくさい手続きは一切なしで、南無阿弥陀仏と唱えれば、即座に浄土の世界に行けるとおっしゃいました。エ~そんなうまい話が、と思いがちですが・・・
話がすっかり抹香臭くなってしまいました。仏壇屋だから仕方がありません。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en2.gif)
みだりに生き物を殺したりしてはならない(不殺生戒)、泥棒してはならない(不偸盗戒)、みだらなセックスはダメ(不邪淫戒)、嘘ついたらダメ(不妄語戒)、酒もダメ(不飲酒戒)この五つですが、誰も守っているはずがない。これについて七日ごとに裁判が行なわれるのだ。
二七日目は、初江王(しょこうおう)が行なう。ここに賽の河原でのデータが届いている。主に生前殺生をしたかの審査が行なわれる。何とかごまかして次に進む。
三七日目は、宋帝王(そうていおう)。ふしだらなセックスをしてきたかが問われる。エーット、オイラは潔癖だけれど・・・一回だけ・・・ということで。嘘をつくと猫が男性の何に噛み付き、蛇が女性の何に向かう。おそろしや、ということで・・
四七日目は、五官王(ごかんおう)のところで、秤に乗せられる。嘘をついたものは即座に見破られる秤だ。嘘をつかないお方などいるはずがない、ここで地獄行きが決定されるが、もう少しの猶予をお願いすると、意外と簡単に次に進ませてくれる。
五七日目は、あの恐ろしい閻魔王(えんまおう)だ。浄波璃(じょうはり)という水晶の玉があって、今まで行なってきた悪いことがここに全部映し出される。ところがこの方意外に優しい。家族親族一同が集まって追善供養をしているかもしれないから、もう少し猶予をあげようとおっしゃる。だから、きちんと供養してあげなければならないのです。
六七日目は、変成王(へんじょうおう)がもう一度念を入れて審査する。さて最後の七七日目の裁判だ。ここでは泰山王(たいせんおう)が決を下す。地獄行きを覚悟して目をつむっていると、六つの鳥居を指差して、どれかを選べという。まだ猶予をくれるのだ。
六つの鳥居は、六道輪廻(ろくどうりんね)をあらわす。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天。この六つのどの道を進むか、皆同じ鳥居に見えて区別がつかない。この見分けは生前の業(ごう)によって決断できるのであります。だから生きているうちに徳(とく)を積んでおかないと変な道に行ってしまうのす。
意外に7人の裁判官は無責任です。結局、決を下さず自分で決めろとおっしゃる。それなら追善供養の必要はないのではと思いがちですが、まあ閻魔さんのところでもそうですが、いい方向への道が開かれることに間違いはないのです。
親鸞聖人は、こんなめんどくさい手続きは一切なしで、南無阿弥陀仏と唱えれば、即座に浄土の世界に行けるとおっしゃいました。エ~そんなうまい話が、と思いがちですが・・・
話がすっかり抹香臭くなってしまいました。仏壇屋だから仕方がありません。
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