花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

死んだらどうなるのか?

2006年02月21日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
最近の客様に、七日七日のお参りを省略してしまう方がみえる。つまり、どなたかが亡くなられた後の法要をしないというのだ。世の中変わってきたのか。
教の視点でお話しする。誰かが亡くなる。体を抜けた亡者は目に見えない小さな存在となる。これから死出の旅路に着くわけだ。小さいからといってエネルギー源は必要だ。食香(じきこう)といって香を焚くことによりそれを食物にする。冥途の旅の期間を中陰といい、四十九日までの間は線香を出来るだけ絶やさないようにする。(だから、巻き線香買ってネ)
の期間、七日ごとに裁判を受け、生前の行いから、これから良いところにいくか、とんでもないところに行くかが決定される。何とか良い判決が出て無事通過できるようにと、残された者は仏前で供養する、これが七日ごとのお参りなのだ。(うちはまとめてお寺さんに任せた)
て冥土の旅の始まりは、険しい山路を一人とぼとぼと七日間歩く。そして三途の川に出る。ここで秦広王(しんこうおう)による最初の裁判がある。初七日だ。これは簡単な書類審査でパス。広い三途の川(多分景色が良いだろう)に出ると、三つのルートがある。橋を渡る、浅瀬を越える、深い濁流をわたる。これは生前の行いで決定する。(オイラは泳げるから濁流でもOKだ。川くだりをしてどこかへ逃げたい)この川の渡し賃が六文必要なのだ。(今は棺おけに入れているのだろうか?護身用の刀を持たせたりもする)
こう岸にわたると賽の河原が広がる(ここも壮観だろう)。ここで爺婆が待っていて(この爺婆が意地悪い)、衣服を剥がされる。剥ぎ取った衣服を衣領樹(えりょうじゅ)という木にぶら下げる。生前の行いによって樹のしなり方が異なる。このしなり具合で、二七日めの初江王(しょこうおう)さんによる裁判が行なわれるのだ。(オイラのボロ着だと折れてしまうかも)
ーズというお方から電話があったので、トツゼン つづく
もう店、閉めます
コメント (2)
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