相変わらず、出久根達郎さんのエッセイを図書館で借りてきては読んでいる。一区切りが短いので、つい先に進む。気に入らなければ読み飛ばす。どうせ借りてきた本だから・・・・出久根さんスミマセン。
「老後の心得」がおもしろかった。本田桂子さんは丹羽文雄氏の娘さんだ。丹羽文雄氏はご当地、すぐ近くの浜田にある寺、崇顕寺さんの生まれだ。八十一歳で老人ボケが始まった。
突然起き上がり「オイ女将、帳場に預けてあったピストルを出してくれ」という。本田さんは機転を利かして「でもお客さん、外はもう暗いですよ、明日になさっては?」と答えた。逆らわないことが大切。不謹慎だがゲームをしている感覚で付き合うのが大事なのだとあった。
晩年の丹羽さんは、何事にも「ありがとう」と感謝の言葉を忘れなかった。可愛らしいボケ方だ。このとき、お母さんもアルツハイマーにかかっていた。本田さんのお母さんは、丹羽家の財産を横取りされると疑っていたらしい。
オイラの場合も似ている。親父が、かわいいボケ方をしていたのを思い出す。無口でくそ真面目な人だと思っていたが、意外な冗談を言ったりして皆を笑わせた。退院するときは車の中で「テンテンテテツク スッテンテン」など言ってはしゃいでいた。
お袋は、泥棒がいるとか、子供の声が聞こえるとか、気味の悪いことをよく話していた。わがままが出て、なぜもっと頻繁に見舞いに来ないのかと叱られたりもした。
出久根氏の随筆の最後にこんなことが載っていたので、そのまま書かせていただきます。
最後に本田さんが体験で得た教訓を紹介する。ちょっと恐ろしい言葉である。
「私たちが老後にエンジェルとなるのも、デビルとなるのも、また仏となるのも修羅となるのも、普段の暮らし方、心のあり方しだいだと思うのです。それまで生きてきた心の軌跡や生きる姿勢というものが如何に大切かを、二人の対照的なボケ老人は私たちに教えてくれました」
ボケるとその人の本性があらわれる。「本当の自分が率直でやさしく、温かい人柄ならよいのですが、ねたみ、そねみ、ひがみだらけだったりしたら、それが包み隠さず出てしまうのだから大変です」
みっともない老人になりたくなかったら、若いうちから心美しく暮らすべし。
だって。ヒェ~!
「老後の心得」がおもしろかった。本田桂子さんは丹羽文雄氏の娘さんだ。丹羽文雄氏はご当地、すぐ近くの浜田にある寺、崇顕寺さんの生まれだ。八十一歳で老人ボケが始まった。
突然起き上がり「オイ女将、帳場に預けてあったピストルを出してくれ」という。本田さんは機転を利かして「でもお客さん、外はもう暗いですよ、明日になさっては?」と答えた。逆らわないことが大切。不謹慎だがゲームをしている感覚で付き合うのが大事なのだとあった。
晩年の丹羽さんは、何事にも「ありがとう」と感謝の言葉を忘れなかった。可愛らしいボケ方だ。このとき、お母さんもアルツハイマーにかかっていた。本田さんのお母さんは、丹羽家の財産を横取りされると疑っていたらしい。
オイラの場合も似ている。親父が、かわいいボケ方をしていたのを思い出す。無口でくそ真面目な人だと思っていたが、意外な冗談を言ったりして皆を笑わせた。退院するときは車の中で「テンテンテテツク スッテンテン」など言ってはしゃいでいた。
お袋は、泥棒がいるとか、子供の声が聞こえるとか、気味の悪いことをよく話していた。わがままが出て、なぜもっと頻繁に見舞いに来ないのかと叱られたりもした。
出久根氏の随筆の最後にこんなことが載っていたので、そのまま書かせていただきます。
最後に本田さんが体験で得た教訓を紹介する。ちょっと恐ろしい言葉である。
「私たちが老後にエンジェルとなるのも、デビルとなるのも、また仏となるのも修羅となるのも、普段の暮らし方、心のあり方しだいだと思うのです。それまで生きてきた心の軌跡や生きる姿勢というものが如何に大切かを、二人の対照的なボケ老人は私たちに教えてくれました」
ボケるとその人の本性があらわれる。「本当の自分が率直でやさしく、温かい人柄ならよいのですが、ねたみ、そねみ、ひがみだらけだったりしたら、それが包み隠さず出てしまうのだから大変です」
みっともない老人になりたくなかったら、若いうちから心美しく暮らすべし。
だって。ヒェ~!