花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

三法改正と街づくり その2

2007年10月26日 | 諏訪商店街振興組合のこと
日は出口巳幸先生を大阪から向かえ、街づくりの勉強会を行いました。
欧米の先進地を例にとり、復活する街の方向性を明示していただきました。
参加者15名という盛況で、お話の内容も良く、街づくりに自信を持つことが出来ました。
容は後日紹介できればと思っていますが、その前に前回記載した「三法改正とまちづくり」から、兵庫県立大学教授の中沢孝夫先生著「商店街は復活するか」より抜粋してご紹介します。前回の続きです。
とんど丸写しなので、大変申し訳なく思っております。
どうかお許しいただきたいと存じます。
先生は、講談社現代新書で「地域人とまちづくり」という本も書いてみえます。
ゲットしましたので、読了後、紹介してまいります。
沢先生はこうおっしゃって見えます。
昨日の出口先生のお話のとおり、街の復活には、まず個々の商店がよくなることが必須である。
「旧まちづくり三法」の見直しと,「新まちづくり法」は中心市街地を復活させることになるのか。
答えはイエスであり、そしてノーである。
エスというのは、地域の再生に一生懸命取り組んでいる街にとっては、大変有効な法である。
かし、新しい法律は、土地の値上がりだけを期待して、自らが街の復活に汗を流さない人々にとっては、大きなマイナスを生む可能性を持っているので、そのような意味から部分的にノーなのである。
きなマイナスとはどういうことか。それは空洞化の原因そのものと密接にかかわっている。
ず当事者のやる気のなさである。商売をやる気のない商店がとても多いのだ。
例えば、店舗改装、業態変更、営業時間の工夫、宣伝方法、インターネットの利用、繁盛している同業者の研究、そして地域活動など、やるべきことはたくさんあるが、数十年にわたって、何もしていない、という店が実に多いのだ。(当店もピタリ当てはまる)
ういった店は、必ず「クルマ社会のせいだ」などというのだ。
活する街に共通するのは「ボランタリーな思想」である。行政から頼まれたからではなく、自発性に基づいて「自分が商う通り」や「自分たちが生活する地域」を積極的に活用して、みんなの町へと変貌させ、「通り」や「地域」をいわば「公共財」として周辺の人々に共有してもらうことに成功した「まち」が復活をとげるのだ。(コノアタリ マルウツシ・・・スミマセン!)
いいかえるならば当事者に積極的な意思がない限り、まちは復活しないのである。
(青森の加藤博さんも言ってみえました「自らを助けない街は置いてゆかれる」と)
の当事者とは誰だろう。それは商業者(個店主)であり、地権者であり、行政であり、そして市民である と。
さに、昨日の出口先生のおっしゃったことと、同じことを書いてみえるのです。
コメント (4)
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