1月3日 孫が川崎から来るので、親族一同みんなで出かけようということになった。で、「集合場所の希望があるか?」と孫に尋ねると、“養老ランド”をご所望だった。
少し雲が多い。先に到着したのか、孫はまだ来ていないので先に入園した。
1名様600円 安い!が、園内に入って思った「これは小さい子がいないと 耐えられない!」
待ちくたびれたので、入り口横のレストラン“ひまわり”へ入る。メニューがうれしい。カレーライスとラーメン、お子様ランチとフライ定食。あと、クリームソーダと瓶ビール。懐かしさの定番である。これに丼物が並ぶと昭和時代の食堂(四日市諏訪劇場横の万惣)だ。
入口にこんなポップが貼ってあった。
遠くに見える厨房を覗くと、写真の伯父さんが忙しそうに駆けずり回っていた。フライを揚げる、カレーを皿に盛る、火加減をする、午後のイベント“餅つき”の準備をする。そういえば午前11時ころは、比較的閑散としていたのが、お昼を過ぎると結構な人出になっていた。食堂内も賑わっている。外人さんもいた。
乗り物は、すべて待ち時間ゼロ。さすがにお正月だけあって各乗り物には係員さんが配置されていた。少し止まってはまた動き出すが、お客様は1人か1組。でも気持ちよく稼働してくれる。電気代は大丈夫かといらぬお世話を思う。係員は、女性かお爺さんで構成されていて、忙しく動いてみえるのを眺めているとホノボノとしてくる。
昔の遊園地風景がここではまだ存在している。小さい子供はみんな大満足の様子だった。(下の文字をクリックしてね)
係員すら見つからない。あまりにもガラガラすぎる遊園地【養老ランド】がヤバすぎた!
「昭和の消えた仕事図鑑」から、こんな言葉を思い出した。
マニュアルにとらわれた無機質な人と人との関係ではなく、仕事を通してぬくもりや感情を交換する関係をベースに、昭和の仕事は成り立っていた。それは仕事にかかわる人もお客も孤独ではなかったことを意味する。今より不便で、効率は悪かったが、そこには人がいた。人を介して仕事が成立していた。だから人を大事にした。人を大事にする精神は、同じようにモノも大事にした。昭和を生きた人達はおしなべて「勿体ない」という言葉を使った。品物を大事に使い、故障すれば修理して使い、簡単に新しいものと替えることをしなった。そこに昭和を支える精神があったといえるだろう。 原書房刊
寂れつつある商店街の生き残る知恵が、ここにありそうな気がした。
難しい問題はどうなったの?
それが問題ダーッ!😅😅😅🤯
1枚の写真をお待ちいただく方がおみえになるとは 嬉しい限りです 今しばらくお待ち下さい 宝箱をほぜくっております