山田洋次監督を“映画こそ生きがいの「映画バカ」”と称して、吉村英夫さんは著書「山田洋次と寅さんの世界」大月書店でこう書いてみえる。
山田にはすべてが映画の題材にみえる。例えば「シェーン」から「遥かなる山の呼び声」、「幸せの黄色いハンカチ」はアメリカのフォークソングから、「ローマの休日」から「男はつらいよ」31作「旅と女と寅次郎」を、俵万智短編集「サラダ記念日」から第41作を、第18作は徳富蘆花の「不如帰」のパロディである。
昭和42年11月公開、東映の「喜劇団体列車」を観てオヤ?と思った。内容が「男はつらいよ」のパターンなのだ。国鉄職員の山川彦一(渥美清)はまじめだけれど計算が苦手でおっちょこちょい、助役試験に何度も落ちている。母親役はミヤコ蝶々。迷子の世話で未亡人の佐久間良子に片思いをするが、最後は振られてしまう
。
監督は瀬川昌治氏で、42年6月に「喜劇急行列車」、43年1月に「喜劇初詣列車」を撮っている。そしてこの年、フジテレビで「男はつらいよ」が始まっている。寅さんは最後に奄美大島へハブ取りに出かけ噛まれて死んでしまう。これに視聴者から抗議が殺到し、44年8月に、映画「男はつらいよ」第1作が公開されることとなる。
つまり、山田監督は東映の列車シリーズから「男はつらいよ」のヒントを得た、とみる。ただし内容の面白さは山田監督が上である。生真面目な国鉄職員よりテキヤ役を、渥美清は水を得た魚のように生き生きと演じている。シリーズ初期はかなり乱暴な性格が目立つが、渥美清に合っていたのだろう。
こんなエピソードを知った。ロケ現場近くで不良学生が数人騒いでいた。渥美清は、そこへ行くと「迷惑だから退いてくれ」と話す。学生は静かに退いていった。余程ドスの効いた話し方だったのだろう。
さまざまな題材をヒントとして、山田作品らしい映画を作り上げる。落語的センスがあり、感動と思いやりのある作品が仕上がる。
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