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花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

四日市駅周辺を散歩

2021年04月27日 | レモン色の町

大正11年の四日市駅東

昭和15年の国鉄四日市駅東

11年に国際振興大博覧会が開催されたその後です 東の海の色を省略させていただきました

昭和43年の高砂町 バーとか旅館が目に付きます

国鉄四日市駅東 現在は住友電装(旧 東海電線)が建っています

真ん中を名四国道が通っています

上を流れるのが阿瀬知川 右上の空き地が港中学校でした

昭和31年頃の空撮

1.阿瀬知川河口 ここまで三重軌道は引かれていました その名残りでしょうか? 製材屋さんがあります

2. 港中学校跡 現在温水プールが建っています

 3.関西橋跡 右側は23号線で多くのトラックが通っています

4.関西堀に沿って四日市駅東口の方向へ 堀の跡が残ります

5.東口跡 日本通運さんがあります

 

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2 コメント

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Unknown (伊勢生まれの下総人)
2021-04-28 00:56:24
先程のコメント。大正14年の地図ではなく、大正11年でした。記事を見ながらコメントを入力出来ないのが、海馬機能(脳の一時記憶を司る)が低下した高齢者には辛いところですと、言い訳(汗)😅😅😅
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Unknown (伊勢生まれの下総人)
2021-04-28 00:31:57
大正14年の地図。
関西橋から南進して末広橋で阿瀬知川を渡るとそこは“出屋敷”と表示されている。
このあたりは現在の昌栄町。一方、末広橋の東には既に昌栄橋がある。
ということは、昌栄町の名称は、この昌栄橋に因んで付けられたということになる。
稲葉三右衛門さんの初代の銅像がこの昌栄橋のたもとにあったことを重ね合わせると、この橋の構築および“昌栄”の命名にはなにか歴史的な背景がありそうに思われます。
また、末広橋の名前も不思議です。何故“西”末広橋ではないのか、、、、、?なにかありそうです。
なお、蛇足ながら、出屋敷とは、江戸時代に新田開拓などでできた新しい農村のことだそうです。
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