久留倍官衛遺跡公園(くるべかんが いせきこうえん)へ出かけた。富田駅を過ぎて四日市高校沿いの道を大矢知方面へ上る。あさけプラザを過ぎると北勢バイパスの高架がある。高架の手前を左へ折れて道沿いに行く、バイパスに乗らずに左へ入ると駐車所場が広がっていた。北勢バイパスを造っている途中でこの遺構が見つかり、迂回させて保存された。
駐車の車は3台だった。“くるべ古代歴史館”へはいると、説明される方が付きっきりで話をしてくれた。なんとここは聖武天皇と天武天皇が主人公でありました。知りたかった壬申の乱や聖武天皇の徘徊のことを説明頂いた。
思わず尋ねる「ところで垂坂山の山頂に、天武天皇の遥拝碑は今でもあるのでせうか?」答へは「いまでもありますよ。富田山城線沿いに北警察署が新しく出来ました。手前の細い道を上ると小さな駐車場があります。そこへ車を停めて、山道を少し登ると山頂に碑が立っていませう。」館内の説明を聞いた後、“くるべ歴史公園”も観ずに遥拝の碑を目指した。
簡易トイレが立つ砂利敷の駐車場から、一気に登山道となっていた。ロープ伝いに登る。“まむしに注意”の看板が点々とある。マムシに嚙まれたら北警察署の人が来てくれるかな?と思いつつ進む。おお!山頂に碑がみえた。
撤去されたと思っていた遥拝の碑がそこにあった!
木々の間から伊勢湾が望める。大友皇子を倒して、政権をとるため立ち上がった大海人皇子(後の天武天皇)の軍勢は、朝廷軍と東方面を寸断するため鈴鹿の関を超えた。そして、この久留倍の役所へ立ち寄ったのは、わずか2日間だった。
※ 訂正:通りがかり様からコメントをいただきました。2日間居たのは聖武天皇だったそうで、大海人皇子は通りかかっただけだそうです。通りがかり様からでした。
カメラの操作間違いで ジオラマモードで撮ってしまった。歴史館へは再訪問の必要有!
女性と子供が写っていた“富田の思い出の写真より”の風景と比べると、木々が繁茂していて、あまりの変わりよう。とても同じ場所とは思えませんね。6〜70年は経っているのでしょうか。
思い出の写真は、カメラの位置が不思議でした。低いところから撮ったように見えますが、小津監督のように、寝転んでシャッターを切ったように見えました。楽しいでゴザイマス。
彼らにとって、楽しいひとときだったのでしょうね。
この子供、タケオさんや私と同年代くらいかな。
時は流れ〜る〜ですね。🙄🙄🙄😢😅😇😇😇
神宮御遙拝所碑が建っ山、久留倍官衙遺跡と
一通りは訪れた事が有ります。
この記事を要約しますと『北警察署の側の小
さな駐車場から「垂坂山」に登ったら、撤去
されたと思っていた碑が有った』ですね。
最近この山に登られた方のブログを拝見して
みましたら駐車場には、此の山の名を表示し
た看板と説明書が二箇所に設置されてあるに
も関わらず此の山名では無く、あたかも垂坂
山に登ったかのように受け取れる記述にはと
ても違和感を感じます。
コメントするのもこれで最後にします。一度
は新聞で紹介された当ブログですので、今後
ともご活躍下さいませ。
追記
郡家(久留倍官衙)に二日留まったのは聖武天皇
です。 天武天皇は立ち寄っただけです。その
場では不破道の状況報告を受け、高市皇子を不
破へ派遣したあと桑名郡家へ移動し、その日は
桑名に留まっております。