笠山園地
笠山は北長門海岸国定公園の中心部に位置し、高さ112mで、頂上には口径30m、深さ30mの小さな噴火口跡があります。海抜60m付近までが数万年前の噴火活動で作られた溶岩台地で、その上に約1万年前の噴火で、。つり鐘状スコリア丘の単成火山が作られましぬた。
笠山では火口に入ることができます
冬の日本海は厳しいですね
島はみんな平らです 強風のせいかなぁ~?
笠山園地
笠山は北長門海岸国定公園の中心部に位置し、高さ112mで、頂上には口径30m、深さ30mの小さな噴火口跡があります。海抜60m付近までが数万年前の噴火活動で作られた溶岩台地で、その上に約1万年前の噴火で、。つり鐘状スコリア丘の単成火山が作られましぬた。
笠山では火口に入ることができます
冬の日本海は厳しいですね
島はみんな平らです 強風のせいかなぁ~?
砥上岳山頂に祀られた武宮
福岡県の山を歩いています。目配山の次は砥上神社を起点として砥上岳へ登りました。
登山途中には、神功皇后の新羅遠征の故事によるひずめ石、みそぎのはる、かぶと石など見所が多く、子孫繁栄のさやん神にも出会うことができました。
また、山頂には武宮が祀られ、古処山など展望にも優れた山でした。
麓から眺める砥上岳
麓の砥上神社
神社の紅葉
神社から登山道へ向かいます
右砥上岳道と石柱に彫られています
足下には歴史ある石畳みが続きます
神功皇后のひずめ跡の残るひずめ石です
みそぎのはる
子孫繁栄のさやん神
陰陽石のようですね
神功皇后はこのかぶとをかぶって新羅遠征をしたとか・・・
砥上岳山頂です
紅葉がきれいでした
古処山・屏山ですね
もう一つの登山口の大山祇神社です
燃えるような紅葉でした
詳細な登山記はHP法師崎のやまある記でお楽しみ下さい
世界遺産への登録を待つ反射炉
萩反射炉は、萩藩が海防強化の一環として、鉄製大砲を鋳造するために、1856年(安政3年)に試作的に築造した金属溶融炉です。しかし、技術的にも費用的にも難しいことから、萩藩は本式の反射炉の築造は断念しました。幕末に萩藩が自力で産業の近代化を目指す中での、トライアル&エラー(試行錯誤)を証明する貴重な遺産です。
世界遺産候補の「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」は、19世紀後半から20世紀初頭にかけ、西洋の技術が日本に移転され、急速な産業化を成し遂げたことを証言する産業遺産群です。岩手県から鹿児島県まで8県11市に広がる23遺産で構成されています。
なお、萩の遺産は産業技術導入の最初期の遺産で、萩反射炉、恵比寿ヶ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、萩城下町、松下村塾の5つです。
品川弥次郎誕生地は船津こども遊園地になってます
品川弥次郎は15歳のとき松下村塾に入門、当初より吉田松陰に大変期待されていたそうです。文久年間(1860年~63年)以降、七卿落ち、禁門の変など、常に幕末の政争において第一線で活躍しました。また、慶応3年(1867年)には倒幕の密勅を山口へ持ち帰りました。
明治に入り農商務大輔となり、とくに産業組合の設立に尽力されました。その後、駐独公使、内務大臣などの要職を歴任され、東京・松陰神社、京都・尊攘堂の創建にも携わりました。
細長い目配山の山頂風景
福岡県の山へ集中して登っています。今回は神功皇后が筑紫平野を平定した際、この山へ登って支配地に目を配ったという伝説が残る目配山へ登りました、
登山口の大己貴神社へ参拝し、登山道入口へ向かいました。墓地を抜け、樹林に覆われた道を辿れば、目配山の山頂へ到着しました。
細長く平坦な山頂からは眼下に筑紫平野を始めとして、素晴らしい展望が広がっていなした。
登山口の大己貴神社
拝殿へ参拝
登山口を出発
細長く平坦な山頂
神功皇后腰掛けの岩
眼下には筑紫平野が広がっていました
こちらは南東方面の展望です
麓では紅葉真っ盛りでした
詳細な登山記はHP法師崎のやまある記でお楽しみ下さい
前原一誠旧宅
維新の志士前原一誠の旧宅です。前原一誠は24歳の時に松下村塾へ入門、戊辰戦争で北越官軍参謀を務め、越後府判事を経て参議へ進み、次いで大村益次郎の後を受けて兵部大輔になりました。
新政府の木戸孝允、大久保利通とは意見が合わず萩へ帰郷、萩の乱の首謀者として処刑されました。
天拝山山頂の展望台
福岡県山を歩き続けています。午前中に基山の山頂へ登り、午後は歴史公園先の武蔵寺を登山口として天拝山へ登りました。この山は、菅原道真公が自らの無実を訴えるため、何度も登頂し、天を拝したと言われています。
山頂の展望台からは四王寺山、三郡山、宝満山、大根地山など素晴らしい展望を眺めることができました。
登山口の歴史公園
登山道入口手前の武蔵寺
紅葉
天神様の径起点
三郡山・宝満山・大根地山
市街地
天拝社
天拝石
荒穂神社
夕食は大砲ラーメンへ
黒とんこつラーメンを頂きました。
詳細な登山記はHP法師崎のやまある記でお楽しみ下さい
桂太郎旧宅
桂太郎は藩校明倫館に学び、戊辰戦争では参謀として活躍しました。明治維新後は陸軍に入り、明治31年(1898)に陸軍大臣になりました。明治33年には現在の拓殖大学を創設し、国際社会で活躍できる人材の育成にも力を注ぎました。
明治34年(1901)以降3度首相を務め、国事多難な時期に手腕を発揮しました。首相在任2886日は通算での最長記録だそうです。
基山山頂に祀られた祠
福岡県の山歩き、今回は筑紫野市と佐賀県基山町にそびえる基山・基肄城(きいじょう)へ登りました。登山口は上原田公園で、登山道入口前で道祖神へ参拝しました。
登山道途中には不動明王の祀られた行場を過ごし、礎石群などを見学しながら山頂へ着きました。平坦な山頂からは周囲360度のパノラマが広がり、素晴らしい展望を眺めることができました。
登山口の上原田公園
登山道入口の道祖神
登山道途中に祀られた不動明王
丸尾礎石群
大礎石
基山・基肄城の山頂
山頂からの風景
南の展望台
九千部山・背振山
天智天皇欽迎之碑
今日は行事があるのかも・・・
基肄城跡
三郡山・宝満山・大根地山
山頂には大勢の登山者が・・・
昼食は久留米とんこつ天砲ラーメンを頂きました
詳細な登山記はHP法師崎のやまある記でお楽しみ下さい
山県有朋誕生地
山県有朋は明治・大正期の軍人・政治家・公爵です。川島で出生。松下村塾に学び、奇兵隊の軍艦となり、高杉晋作挙兵による内訌戦等に活躍、戊辰戦争では官軍の参謀として転戦しました。
明治以後、陸軍卿・参議・陸軍大将・元帥へと進み、日本陸軍の中心的存在として長州陸軍閥を形成、政治家としては内務大臣となり、のち、二次にわたり内閣を組織し、元老となりました。
尺岳山頂の風景
福岡県の山歩き、今回は直方市にそびえる尺岳です。安入寺先の登山口より登山を開始しました。展望広がる山頂からは、金剛山や皿倉山、平尾台に福智山などの名峰を眺めることができました。下山後は竜王峡へ立ち寄り、竜王神社や美しい滝を鑑賞しました。
麓から眺める尺岳
安入寺登山口
尺岳平の広場
山頂の鳥居と祠
山頂標識
金剛山へ連なる山々
皿倉山
竜王峡入口
一の滝
竜王神社
三の滝
詳細な登山記はHP法師崎のやまある記でお楽しみ下さい
秋吉台
近く遠方からのお客様を、山口県の主な観光地へご招待する予定です。そこで事前に観光地の状況を調べておくことにしました。最初は山口県で最も有名な秋吉台です。雪の降る日でしたが、大勢の外国人が観光をしていました。
秋芳洞入口
秋芳洞エレベーター出口
展望台へ大勢で
寒くてもアイスを食べる人がいました
展望台から秋吉台
それにしても大勢の観光客です
日本人ではないような・・・
山口県の名峰桂木山です
障子ガ岳山頂
福岡県の山歩き、香春岳の次は向かいにそびえる障子ガ岳です。少し遅い時間に登山を開始ですが、途中では美しい紅葉を観賞することができました。
この山は城跡で、山頂からは周囲360度のパノラマが広がり、いつまで眺めていても見飽きない展望を満喫しました。
障子ヶ岳の登山口です
途中には紅葉がきれいです
桜公園へ着きました
登山道入口です
ここでも紅葉がきれいでした
北の丸跡
馬場跡
山頂へ到着です
本丸跡の山頂は平坦ですね
香春岳・牛斬山・福智山
皿倉山
平尾台
周防灘
詳細な登山記はHP法師崎のやまある記でお楽しみ下さい
名鉄グランドホテル 四季の昼食
きしめんの味が忘れられず、先週に引き続き名古屋へ行きました。きしめんばかり食べている私を不憫に思われたのか、今回はホテルで昼食のご招待を受けました。
でも、きしめんの誘惑には勝てず、足は住よしさんへ向かいます。今回は揚げ物なしのきしめんを頂きました。このきしめんがいちばんおいしいですね。
いつもの住よしさん
定番のきしめんです
今回は揚げものはなしです
昼食はまともに
ホテルで昼食を
ごちそうさまでした