クィンシー・シリーズ第3作。
このシリーズの主題は復讐である。第1作は、ボディガードをつとめた少女を誘拐して殺したマフィアに対する復讐。第2作は、愛する妻子を爆殺したテロリストに対する復讐。本書は、人身売買組織に対する復讐である。
直接関わるのはマイケル。その実母が組織に拉致され、麻薬で抵抗力を失わされた上で性的な奉仕を強いられたのだ。こうした過去を亡くなる直前の実母から聞き取ったマイケルは、クィンシーの支援を得て、マルセイユの人身売買組織を叩きつぶす。この組織は「ブルー・リング」の一環だった。「ブルー・リング」は、処女を生贄として永遠の命を得ようとする悪魔主義の新興宗教団体である。その根城があると目されるイタリアに、クィンシーたちは飛ぶ。イタリアには旧知の憲兵隊大佐マリオ・サッタがいた。しかし、イタリアの政財界に強固な根をはる「ブルー・リング」は、サッタ大佐の情報収集を妨害するだけの力を有していた・・・・。
本書でクィンシーは新たな家族を得る。組織の魔手からすくいだした13歳の少女ジュリエットである。ここでクィンシー・シリーズのもう一つの主題を指摘しておこう。家族愛である。家族は通常血の絆によって結ばれるが、クィンシー・シリーズにおける家族は、もう少し幅が広い。養子マイケルもそうだし、傭兵時代の戦友もそうだ。共通の目的のため共同して闘うサッタ大佐やデンマークの警官イェンス・イェンセンも含まれる。同志愛に近いが、抽象的な理念とは縁がない。あくまで個々の人間のつながりにとどまるが、無条件で信頼しあう関係は、家族愛に含めてさしつかえないと思う。
印象的な場面を2つ紹介しょう。
第一。クィンシーたちがポール&ラウラ・シェンブリ夫妻から夕食に招待された時のこと。テーブルの皿の片づけを手伝おうとジュリエットが立ち上がった。
「きわめて厳しい口調でラウラは座るようにと言った。『お客さんはここでは手伝わないのよ』/ジュリエットは座らなかった。同じくらい厳しい声でジュリエットは言った。『私はお客じゃありません・・・・家族なんです』/彼らは少女が気に入った」
第二。サッタ大佐の部下マッシモ・ベルー少佐は、配属された当初は別の部署へ配置換えしてもらおうと画策した。1年間たつと「彼はサッタの精神の絶妙な出来具合に感心し、理解しはじめた」。ある時、妹のため尽力してくれたらしいことを察してベルーは問いただす。大佐は肩をすくめてこう言っただけだった。
「『きみはぼくといっしょに仕事をしている。もちろん、その件でぼくが何もしなかったわけではないよ』/配置転換の考えはベルーの頭から完全に消えた。そのきっかけはサッタがしてくれたことではなく、サッタが使った言葉にすぎなかった。『きみはぼくと<<いっしょに>>仕事をしている』と彼は言った。/『ぼくの<<ために>>』とは言わなかった。その後の歳月の経過の中で、彼らはきわめて打ち解けた協力関係を築き上げ、徐々に二人三脚の関係へと変わって行った」
「きみはぼくと<<いっしょに>>仕事をしている」・・・・
人情の機微を描いて絶妙である。一寸の虫にも五分の魂。仕事に誇りを抱く者同士の友情は、上司と部下の関係を超えて、厚い。
A・J・クィネル、2009年7月10日、肺ガンのため逝去。もはや新作を読めないのは淋しい。
□A・J・クィネル(大熊栄訳)『ブルー・リング』(新潮文庫、1994)
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このシリーズの主題は復讐である。第1作は、ボディガードをつとめた少女を誘拐して殺したマフィアに対する復讐。第2作は、愛する妻子を爆殺したテロリストに対する復讐。本書は、人身売買組織に対する復讐である。
直接関わるのはマイケル。その実母が組織に拉致され、麻薬で抵抗力を失わされた上で性的な奉仕を強いられたのだ。こうした過去を亡くなる直前の実母から聞き取ったマイケルは、クィンシーの支援を得て、マルセイユの人身売買組織を叩きつぶす。この組織は「ブルー・リング」の一環だった。「ブルー・リング」は、処女を生贄として永遠の命を得ようとする悪魔主義の新興宗教団体である。その根城があると目されるイタリアに、クィンシーたちは飛ぶ。イタリアには旧知の憲兵隊大佐マリオ・サッタがいた。しかし、イタリアの政財界に強固な根をはる「ブルー・リング」は、サッタ大佐の情報収集を妨害するだけの力を有していた・・・・。
本書でクィンシーは新たな家族を得る。組織の魔手からすくいだした13歳の少女ジュリエットである。ここでクィンシー・シリーズのもう一つの主題を指摘しておこう。家族愛である。家族は通常血の絆によって結ばれるが、クィンシー・シリーズにおける家族は、もう少し幅が広い。養子マイケルもそうだし、傭兵時代の戦友もそうだ。共通の目的のため共同して闘うサッタ大佐やデンマークの警官イェンス・イェンセンも含まれる。同志愛に近いが、抽象的な理念とは縁がない。あくまで個々の人間のつながりにとどまるが、無条件で信頼しあう関係は、家族愛に含めてさしつかえないと思う。
印象的な場面を2つ紹介しょう。
第一。クィンシーたちがポール&ラウラ・シェンブリ夫妻から夕食に招待された時のこと。テーブルの皿の片づけを手伝おうとジュリエットが立ち上がった。
「きわめて厳しい口調でラウラは座るようにと言った。『お客さんはここでは手伝わないのよ』/ジュリエットは座らなかった。同じくらい厳しい声でジュリエットは言った。『私はお客じゃありません・・・・家族なんです』/彼らは少女が気に入った」
第二。サッタ大佐の部下マッシモ・ベルー少佐は、配属された当初は別の部署へ配置換えしてもらおうと画策した。1年間たつと「彼はサッタの精神の絶妙な出来具合に感心し、理解しはじめた」。ある時、妹のため尽力してくれたらしいことを察してベルーは問いただす。大佐は肩をすくめてこう言っただけだった。
「『きみはぼくといっしょに仕事をしている。もちろん、その件でぼくが何もしなかったわけではないよ』/配置転換の考えはベルーの頭から完全に消えた。そのきっかけはサッタがしてくれたことではなく、サッタが使った言葉にすぎなかった。『きみはぼくと<<いっしょに>>仕事をしている』と彼は言った。/『ぼくの<<ために>>』とは言わなかった。その後の歳月の経過の中で、彼らはきわめて打ち解けた協力関係を築き上げ、徐々に二人三脚の関係へと変わって行った」
「きみはぼくと<<いっしょに>>仕事をしている」・・・・
人情の機微を描いて絶妙である。一寸の虫にも五分の魂。仕事に誇りを抱く者同士の友情は、上司と部下の関係を超えて、厚い。
A・J・クィネル、2009年7月10日、肺ガンのため逝去。もはや新作を読めないのは淋しい。
□A・J・クィネル(大熊栄訳)『ブルー・リング』(新潮文庫、1994)
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