石油危機(70年代)と今回の世界経済危機(07~09年)では、危機後の日本経済のパフォーマンスに大きな相違があった。
(1)石油ショック
73年の第一次石油ショック及び79年の前まで、先進工業国は安価な原油の安定的供給を基礎に経済成長を謳歌してきた。しかし、こうした経済構造は根底から揺るいだ。
その後、世界経済は徐々に回復していったが、その程度は国によって大差があった。多くの欧米諸国では、経済停滞が長引いた。とくに米国と英国が深刻だった。
石油ショックへの対応において、賃金決定のメカニズムが決定的な重要性を持った。欧米では、物価スライド条項を含む賃金協定が普及していたので、スタグフレーションに陥ったのである。
かかる事態に対処するため、欧州(とくに英国)では「所得政策」の導入が論議された。しかし、これは統制だから、自由主義経済では難しい。
ところが日本では、所得政策と同じことが、自然発生的に実現できた。戦時経済体制を引き継いだ日本では、企業別労働組合が企業別に賃金交渉を行う仕組みが定着していた。しかも、企業一家主義が一般的だった。だから、労働組合は経営者と一体となり、賃上げよりも会社の存続を優先した。こうした「経済整合性路線」が鉄鋼労連など金属労協を中心として結成され、第一次石油ショック直後に見られた実質賃金重視の方針から早期に転換し、賃上げを自制するようになった。
また、日本では企業内での配置転換は比較的容易に行えた。このため、経済の構造変化に対して柔軟に対応できたのである。
賃金上昇圧力が低かったため輸出が増大し、経常収支黒字が拡大した。このため国内インフレが抑制された。また、輸出増大によって不況も克服された。かくして、好循環を実現できた。
日本経済は大打撃を受けたものの、比較的早期に立ち直った。80年代以降、世界経済でめざましい躍進を遂げた。ドイツと並んで世界経済をリードした。
(2)リーマンショック
今回の危機においても、日本経済は大打撃を受けた。そして、石油ショックの時とは異なり、10年にいたっても危機前の経済水準を取り戻すことができない。
他方、危機の原因を作った米国経済は、危機から脱却している。米国の失業率が高いのは事実だが、GDPは回復している。
日米間において、石油ショック時とは逆の現象が生じている。
企業利益の差も明白だ。2007年4-6月期と2010年4-6月期を比較すると、全産業は、わけても製造業は、奈落の底から這い上がったものの、まだ危機前の水準は取り戻せない。
その半面、米国の場合、同期を比較すると、全産業は危機前の水準を取り戻し、それより3.5%高い水準になっている。危機の原因を作った金融業も、かなり回復している。情報関連は、3割近く高い水準で過去最高を更新しつつある。
利益率を見ても、日本企業は立ち遅れている。
40年体制は、石油ショックにおいてポジティブな役割を果たした。そして、日本が石油ショック克服の優等生になったため、戦時経済システムが生き残った。しかも、強化する結果となった。日本人は、「日本型経済システム」に自信過剰となった。
これが、金融危機においては不利に働き、ネガティブな影響を与えている(次回以降詳述する)。
(3)1940年体制の変貌
40年体制は、すべての側面において元のままの形で残ったわけではない。日本経済は、80年代後半のバブルと90年代のバブル崩壊を経て大きく変質した。90年代後半からは経済成長が停滞するようになった。この過程で、40年体制も変化を余儀なくされた。
40年体制の中核的部分のうち、官僚制度と金融制度における40年体制は、90年代からの日本経済衰退過程において大きく変質し、主要な要素が消滅した。その象徴は、日銀法の改正であり、大蔵省、通商産業省という名称の消滅だ。実体面をみれば、金融制度は大変化した。40年体制金融制度の代表、長期信用銀行が消滅した。都市銀行も再編され、少なくとも表面的な姿は変わった。企業の資金需要が減退し、資本取引が国際化したため、統制的な色彩が強かった金融体制の役割が大きく低下した。大蔵省、通産省などの経済官庁の地位が低下したのも、市場経済の進展に伴って、統制的な経済規制のはたすべき余地が少なくなったからだ。
他方、40年体制の中核的部分のうち、税・財政制度には40年体制的制度が依然として根強く残っている。税・財政は、もともと市場経済とは別の存在だから、経済情勢の変化に応じた変化は生じなかったのだ。給与所得税と法人税を中心とする税制の構造は、ほとんど変わっていない。
また、地方財政が国の財政に大きく依存する構造も変わっていない。
いま一つ残ったのが、「日本型企業」の閉鎖的体質だ。そして、市場メカニズムを否定する考えである。
*
以上、参考文献の第11章「1 二つの経済危機と1940年体制」に拠る。
【参考】『増補版 1940年体制 -さらば戦時経済-』(東洋経済新報社、2010)
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(1)石油ショック
73年の第一次石油ショック及び79年の前まで、先進工業国は安価な原油の安定的供給を基礎に経済成長を謳歌してきた。しかし、こうした経済構造は根底から揺るいだ。
その後、世界経済は徐々に回復していったが、その程度は国によって大差があった。多くの欧米諸国では、経済停滞が長引いた。とくに米国と英国が深刻だった。
石油ショックへの対応において、賃金決定のメカニズムが決定的な重要性を持った。欧米では、物価スライド条項を含む賃金協定が普及していたので、スタグフレーションに陥ったのである。
かかる事態に対処するため、欧州(とくに英国)では「所得政策」の導入が論議された。しかし、これは統制だから、自由主義経済では難しい。
ところが日本では、所得政策と同じことが、自然発生的に実現できた。戦時経済体制を引き継いだ日本では、企業別労働組合が企業別に賃金交渉を行う仕組みが定着していた。しかも、企業一家主義が一般的だった。だから、労働組合は経営者と一体となり、賃上げよりも会社の存続を優先した。こうした「経済整合性路線」が鉄鋼労連など金属労協を中心として結成され、第一次石油ショック直後に見られた実質賃金重視の方針から早期に転換し、賃上げを自制するようになった。
また、日本では企業内での配置転換は比較的容易に行えた。このため、経済の構造変化に対して柔軟に対応できたのである。
賃金上昇圧力が低かったため輸出が増大し、経常収支黒字が拡大した。このため国内インフレが抑制された。また、輸出増大によって不況も克服された。かくして、好循環を実現できた。
日本経済は大打撃を受けたものの、比較的早期に立ち直った。80年代以降、世界経済でめざましい躍進を遂げた。ドイツと並んで世界経済をリードした。
(2)リーマンショック
今回の危機においても、日本経済は大打撃を受けた。そして、石油ショックの時とは異なり、10年にいたっても危機前の経済水準を取り戻すことができない。
他方、危機の原因を作った米国経済は、危機から脱却している。米国の失業率が高いのは事実だが、GDPは回復している。
日米間において、石油ショック時とは逆の現象が生じている。
企業利益の差も明白だ。2007年4-6月期と2010年4-6月期を比較すると、全産業は、わけても製造業は、奈落の底から這い上がったものの、まだ危機前の水準は取り戻せない。
その半面、米国の場合、同期を比較すると、全産業は危機前の水準を取り戻し、それより3.5%高い水準になっている。危機の原因を作った金融業も、かなり回復している。情報関連は、3割近く高い水準で過去最高を更新しつつある。
利益率を見ても、日本企業は立ち遅れている。
40年体制は、石油ショックにおいてポジティブな役割を果たした。そして、日本が石油ショック克服の優等生になったため、戦時経済システムが生き残った。しかも、強化する結果となった。日本人は、「日本型経済システム」に自信過剰となった。
これが、金融危機においては不利に働き、ネガティブな影響を与えている(次回以降詳述する)。
(3)1940年体制の変貌
40年体制は、すべての側面において元のままの形で残ったわけではない。日本経済は、80年代後半のバブルと90年代のバブル崩壊を経て大きく変質した。90年代後半からは経済成長が停滞するようになった。この過程で、40年体制も変化を余儀なくされた。
40年体制の中核的部分のうち、官僚制度と金融制度における40年体制は、90年代からの日本経済衰退過程において大きく変質し、主要な要素が消滅した。その象徴は、日銀法の改正であり、大蔵省、通商産業省という名称の消滅だ。実体面をみれば、金融制度は大変化した。40年体制金融制度の代表、長期信用銀行が消滅した。都市銀行も再編され、少なくとも表面的な姿は変わった。企業の資金需要が減退し、資本取引が国際化したため、統制的な色彩が強かった金融体制の役割が大きく低下した。大蔵省、通産省などの経済官庁の地位が低下したのも、市場経済の進展に伴って、統制的な経済規制のはたすべき余地が少なくなったからだ。
他方、40年体制の中核的部分のうち、税・財政制度には40年体制的制度が依然として根強く残っている。税・財政は、もともと市場経済とは別の存在だから、経済情勢の変化に応じた変化は生じなかったのだ。給与所得税と法人税を中心とする税制の構造は、ほとんど変わっていない。
また、地方財政が国の財政に大きく依存する構造も変わっていない。
いま一つ残ったのが、「日本型企業」の閉鎖的体質だ。そして、市場メカニズムを否定する考えである。
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以上、参考文献の第11章「1 二つの経済危機と1940年体制」に拠る。
【参考】『増補版 1940年体制 -さらば戦時経済-』(東洋経済新報社、2010)
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