語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『日本遠近 ふだん着のパリ』 ~対話する哲学者久野収の旅~

2010年05月31日 | 批評・思想
 久野収夫妻は、1981年の夏から冬にかけて、半年間パリで暮らした。最初の下宿は、サクレクールから徒歩10分、メトロのラマルク・コーランクール駅から石段を40段降りた下町にあった。
 徒歩10分の距離にモンマルトル墓地があり、夫妻は「アンリコ・ベーレ、ミラノの人、生きた、書いた、愛した」の墓碑銘が彫られた墓石を訪れている。久野の世代は、青年時代にスタンダールを愛読したらしい。
 市場のたずね歩きからはじまって、生活のかなめ、食の話が第1章から第2章までつづく。

 とはいえ、、腐っても鯛、「ふだん着」で旅しても久野収である。第3章あたりから彼らしい哲学的考察がはじまる。
 たとえば、庶民からインテリまで、とにかくおしゃべりが好きだ。デカルトのいわゆる良識(ボン・サンス)の間の対話、対話の内面化による知性の向上(見識)という図式をえがく。
 あるいは、二つめの下宿、セーヌ右岸第8区にあるコンスタンティノープル街のアパートの照明がじつに暗いことから、フランスにおいてメモワールという様式が盛んな理由に思いをいたす。広い意味でのメモワールには、ジュールナール(日記)、カイエ(手記・手帖)、プロポ(雑談・雑記)、レットル(手紙)、コレスポンダンス(往復書簡)が含まれる。暗い照明の部屋で、昼間の外側との交渉をふりかえって哲学するのだ。すなわち、昼間は広場で外側と会話にはげみ、夜は住居の内側において内省にふける・・・・。ロジシャン久野収の面目躍如だ。

 ポール・ヴァレリー『詩学序説』にも言及がある。久野によれば、ヴァレリーは芸術の生産者と消費者をまったく別個の範疇に属するものと区別し、文化における公衆(消費者・享受者・鑑賞者)の成立がフランス文化の卓越をもたらした、と考えた。そして、久野は、安い料金で見物する観客を劇場がいかに大切にしているかを目のあたりにした体験から、ヴァレリーを支持する。

 旅して考えるとは、こういうことなのだ。
 参考書のないパリで論じることができるほど、久野収はヴァレリーをしっかりと吸収していた。フランクフルト学派となれば、血肉化されている。ヴァルター・ベンヤミンを軸に展開する都市論は、本書の刊行から四半世紀以上をへた今でも読みごたえがある。パッサージュ、ブールヴァール、アヴニュに一章があてられている。
 巻末に、ベンヤミン論とカール・ラデック論の2編のエッセイを付す。

□久野収『日本遠近 ふだん着のパリ』(朝日選書、1983)
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