語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【本】管理に従順な者、従順でない者 ~「信号」~

2015年12月30日 | 小説・戯曲
 旺文社文庫版の本書は、帝政ロシアに一閃の光芒のごとくあらわれては消えた作家フセーヴォロト・ミハイロヴィッチ・ガルシンの短編を5編おさめる。
 表題作「紅い花」が世に名高いが、ここでは「信号」をとりあげる。

 線路番、セミョーン・イヴァーノフが、故意にはずされたレールを発見し、ハンカチをふって驀進してきた列車を止める、という話だ。ごく単純なようにみえて、全編をつらぬく緊張感とそれに見合った密度の高い文体が、文庫でわずか30ページ弱を倍か三倍くらいの長さに感じさせる。ことに最後の数ページは、時計の針なら1分か2分、長くて3分くらいを動くつかのまの出来事にすぎないのに、1時間かもっと長い時間がたったような錯覚をおこさせる。それほど濃密な時間が流れる。
 はずされたレールの発見。汽笛。刻々と近づく汽車。レールは規則正しい調子で震え出す。セミョーンは脳裏にひらめいた思いつきにしたがい、左腕の肘より少し高めのところを小刀で突いて、その血で木綿のハンカチを赤く染めて、そのハンカチを振る。汽車は100メートルの距離に近づく。あの距離では、もう止められない・・・・。激しい出血は眩暈をまねき、昏倒し、旗を取り落とした。

 ぞくりとくる一瞬だ。
 その直後に、万人を感動させる(はずの)場面が続く。
 レールをはずした犯人が、セミョーンが落とした旗、つまりハンカチを彼に代わって高々と振りあげたのだ。
 犯人は、ヴァシーリイ・スチュパーヌィッチであった。セミョーンの同僚で、やはり線路番の。一方の駅まで14キロ、他方の駅まで12キロ、その間の線路を二人が保守していたのだ。

 線路番ヴァシーリイが、なぜ自分の仕事を破壊するような犯行に走るにいたったのか。
 小説では深くは掘り下げられていない。官僚主義の一端がさりげなく描かれているから、、ヴァシーリイの不満がそれに由来するか、すくなくとも元々もっていた不満がお役所の掟によって増幅されたらしい。
 小説は、二人の経歴、そこからくる人生や社会に対する態度の違い、あるいは性格の違いを描写することで、セミョーンの善良さ、そして愚直なまでの職務への忠実を強調する。
 職業倫理は、守られなければならない。
 ヴァシーリイは、断罪されなければならない。
 JR福知山線脱線事故の責任者は、責任をとらなければならない。

 ガルシンの同情はヴァシーリイに向けられていたのではないか、と思う。19世紀後半の専制主義ロシアにおいて、言論の自由はなかった。ガルシンが書くことのできる範囲は限られていた。
 職務に従事する者の生活が守られていない点で、上意下達のJR西日本と、帝政ロシアの鉄道当局と、どう違うのか。
 「信号」は、セミョーンの通俗的倫理を称揚する影に隠れがちだが、ヴァシーリイの抱える(当時も今も)今日的な問題をさりげなく、しかし重く描いている。
 ガルシンは、勃興するロシア・ナロードニキと同時代を生き、33歳で自決した。神の愛でし人であった。

□フセーヴォロト・ミハイロヴィッチ・ガルシン(小沼文彦訳)「信号」(『赤い花・信号』所収)(旺文社文庫、1968)
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