古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。
(1)スペンサー・シリーズにおいて、主人公スペンサーは自らについてほとんど語らず、スペンサー以外の者がスペンサーについて語る。結果として、
①スペンサーは自己抑制的で何ものにも心を動かされないタフな神経の持ち主という印象を読者に与える。
②生じる問題も弱みも、スペンサー以外の誰か(依頼者あるいは事件に群がる有象無象)に属し、スペンサーには属しない、という印象を読者に与える。
実際にはそうではなくて、怖い時には怖い、とスペンサーは率直に漏らす。それは当然だ。自分の力の限界を自覚しないでやたらと強がるのは、状況判断能力の欠如を示す。非常に危険だ。
しかも、スペンサーの場合、怖さを意識しつつ、それに押しつぶされることなく、乗り切る意志の強さをもつ。つまるところ、スペンサー・シリーズの魅力のひとつは、この意志であり、自己コントロールの強さだ。
(2)ところで、『初秋』の主題は、失敗した家庭内教育と、成功した社会教育である。
妻よりも母親よりも女でありたいパティ、漁色に忙しく、離婚した元妻パティには嫌がらせしか考えないメル。こうした両親のもとで、近々16歳になろうとするポール・ジャコミンはテレビしか楽しみのない無気力な少年となっている。
スペンサーは、森で少年と一緒に暮らし、手作りで家を建てつつ少年の体力を鍛える。体力のみならず、自分が何をしたいのかを自分で決める意志も育てる。
スペンサーの教育方法はいっぷう変わっているが、その精神は奇異なものではない。米国にはフロンティア精神の伝統がある。その精神は今はどこかの博物館で埃をかぶっているのかもしれないが、スペンサーが短期間のうちに少年に教えたのは、まさにかっての開拓者の知恵であり、自立の精神であった。
(3)スペンサー・シリーズでは、いくぶんキザだが、単純で筋のとおった哲学が随所に披露される。このあたりも、シリーズの魅力だろう。本書では例えば、少年とスペンサーは次のような会話をかわす。
「なにが書いてあるの?」
「14世紀のことだ」
彼は黙っていた。薪の端から樹液が流れ出て下の熱い灰の中に落ちた。
「なんで1400年代のことを書いた本を読むの?」
「1300年代。20世紀が1900年代であるのと同じだ」
ポールが肩をすぼめた。「だから、なぜそんなことについて読むの?」
私は本をおいた。「当時の人々の生活がどんなものだったか、知りたいのだ。読むことによって、600年の隔たりをこえた継続感を得られるのが好きなのだ」
□ロバート・B・パーカー(菊池 光・訳)『初秋』(ハヤカワ・ミステリ文庫、1988)
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