<沖縄には独特の生命観がある。一人の人間に魂が複数あるのだ。その一つひとつの魂が個性をもっており、それぞれの生命をもっている。従って、一人の人間は複数の魂に従って、いくつもの人生を送ることができる。複数の魂によって多元性が保証されている。魂の数だけ、真理もあるのだろう>
こう書いて、佐藤優は、作家にして臨済宗福聚寺副住職の玄侑宗久の一文を引く。以下、要旨。
魂が一つしかないということ自体、西洋的な見方にすぎない。ユングも、その見方は世界では少数だ、と書いている。沖縄では一人の人間に魂は六つ、ラオスでは32あるという。それほどあると、なんだか「ゆとり」を感じてしまう。
土地ごとに魂のことを語るレトリックがあり、その土地ではその土地に根ざした真理があるのだろう。真理は一つではない、と思いたい。
魂は6個かもしれないし、32個かもしれない。宗教者としては、その豊かさのほうを尊びたい。
□佐藤優『沖縄・久米島から日本国家を読み解く』(小学館、2009)
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こう書いて、佐藤優は、作家にして臨済宗福聚寺副住職の玄侑宗久の一文を引く。以下、要旨。
魂が一つしかないということ自体、西洋的な見方にすぎない。ユングも、その見方は世界では少数だ、と書いている。沖縄では一人の人間に魂は六つ、ラオスでは32あるという。それほどあると、なんだか「ゆとり」を感じてしまう。
土地ごとに魂のことを語るレトリックがあり、その土地ではその土地に根ざした真理があるのだろう。真理は一つではない、と思いたい。
魂は6個かもしれないし、32個かもしれない。宗教者としては、その豊かさのほうを尊びたい。
□佐藤優『沖縄・久米島から日本国家を読み解く』(小学館、2009)
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「通りで鼻血なんか出た人居ない」なんて平気で言っちゃってるんだ!
流石日本会議一派!