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ときは19世紀末、英国人の孤児キム少年(13歳)は、生来の身軽さと才知、たっしゃな現地語を駆使してインド社会の底辺をしぶとく生きぬいてきた。亡父ゆかりの英国連隊に拾われて英才教育をほどこされ、密偵となった。英露、そして英領インドと国境を接する藩侯諸国との激しい諜報合戦に加わる・・・・。
北インドを舞台とする冒険活劇は、時代が時代だけに、おおらかだ。せわしない21世紀に生きる、こせこせした人には悠長な筆の運びに見えるかもしれない。
しかし、世知辛い世の中だからこそ、一夜、悠然たる物語に身をまかせてよい人には、濃密な時間をすごすことができる。
すくなくとも、第一次世界大戦前の英国を舞台とするスパイ小説、ジョン・バカン『三十九階段』や、同じ主人公が欧州を駆けめぐる冒険小説『緑のマント』を愛する人は、きっと楽しめる。
本書の冒険は、単に諜報にとどまらない。
キムが出会うインド社会各層の人々、世相が生き生きと活写されていて、興味深い。英国人が異文化のなかに分け入る。これもまた冒険といえる。
しかも、英国の手先であるアフガン系馬商人、伝説の聖なる河を探索するラマ僧、曖昧宿の女たちなど、登場人物は各自固有の運命をもっているかのように動いている。
柔軟に目の前の現実を受け入れていくキムに対して、頑迷固陋な連隊付神父も登場する。英国人は一律ではないのだ。
他方、キムが出会うのは生き馬の目をぬく人々ばかりではなく、ラマの学僧はキムを我が子のように慈しむ。学僧は、東洋的な寛容とでもいうべき深い心の持ち主であった。インド人も一律ではないのだ。
著者は、インドのムンバイ生まれ、英国人初のノーベル賞文学賞受賞作家。原著は1901年刊。
本書は、著者の最高傑作と称される。評者としては、子どもの頃になじんだ『ジャングル・ブック』 のほうが好みだが、灼熱の土地に生きる人々とその混沌たる文化への共感は、本書のほうに色濃くあらわれている。
□ラドヤード・キプリング(斎藤兆史訳)『少年キム』(晶文社、1997。後に、ちくま文庫、2010.3)
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