語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】アルルの女、短編小説の起源、日本の自然主義文学の源流

2010年06月15日 | ●丸谷才一
 20歳になる立派な百姓、美男子のジャンはアルルの女を見そめる。浮気女として知られていたので両親は反対したが、ジャンが執拗に求めるので両親はしかたなく許した。
 ところが、彼女を2年間情婦にしていたという男があらわれた。
 ジャンは結婚を断念し、二度と彼女のことを口にしなかった。
 しかし、ジャンの思いは変わらず、聖エロアの祭日の夜、屋根裏から飛び降りて死んだ。
 映画『愛と宿命の泉』で、マノンに翻弄されて自決したウゴラン(ダニエル・ウートゥユ)のように。

 短編『アルルの女』には、タイトルになっているアルルの女がちっとも登場してない。ジャンの見るところや噂にもとづく両親の考え(それもほとんど記述されていない)、あるいは情夫の口を通じてしか伝わらない。
 さればこそ、かえって魔性を感じさせる。事実ではなくて、伝聞が生みだす魔性だ。魔女は口伝てによってつくりだされる。
 ことに、閉ざされた狭い地域の中において。

   *

 ところで、丸谷才一『文学のレッスン』(大進堂、2010)の短編小説論によれば、英国では短編小説の格は低い。長編小説優位なのである。フランスでは、はじめ、長編小説の需要があまりなかった。ブルジョワ階級が、英国よりもそれだけ遅れて成熟した。
 フランスでブルジョワ階級が興隆するのは19世紀前半からで、この頃ようやくフランスが小説の世紀にはいる。
 短編小説の確立は、新聞・雑誌のジャーナリズムのありかたと深く関わっている。フランスの短編小説の型をつくったのは、1980年代のモーパッサンだ。日刊新聞が掲載の舞台だった。サロンの会話が奇譚のようなかたちで定着することもあっただろうが、モーパッサンの読者はあくまで大衆日刊紙を買う層だった。
 英国でショート・ストーリーという言葉が確立するのはだいぶ後になるが、この言葉が使われる前にスケッチという言葉がわりと使われた(W・アーヴィング『スケッチ・ブック』ほか)。このスケッチという言い方が日本に入ってきて、写生文になった。子規、、虚子たちの写生文である。そして、短歌・俳句の写生論である。島崎藤村に『千曲川のスケッチ』がある。そして、その写生の概念とリアリズムの概念が合致して自然主義文学が登場した。

【参考】アルフォンス・ドーデ’(桜田佐訳)『風車小屋だより』(岩波文庫、1932、改版1958)
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