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古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。
次の二つの文章はまったく相容れない文章である、いかにモンテーニュが事務管理に不向きであったかを示す、うんぬんと書いて、ジイドは以下のように引く。すなわち、
<「事実、マタ何ノ憚ルトコロモナク告白スルガ、余ハ必要トアラバ聖みしゅえるに一挺ノ蝋燭ヲ献ジ、ソノ龍ニモ他ノ一挺ヲ献ジカネナイノデアル。>・・・・①
<グラツイタ、曖昧ナ態度ヲトリ、国家ノ擾乱ニ対シテモ、民心分裂ノ渦中ニアッテモ、自己ノ感情ヲ動カサズ、普遍不党デイルコトハ美シイトモ正シイトモ余ハ思ワナイ。イズレカノ党派ニ属サネバナラヌ。>・・・・②
つまり、
①自分は一方にもその敵にも手をさしのべる
と言う舌の根も乾かぬうちに、
②国家の大事においては党派的でなければならない
と書くのは矛盾している、と非難するのだ。
②は、政治の論理である。味方でないものは敵、敵は殺せ。これは、殊に動乱の世において貫徹されるロジックだ。そしてモンテーニュが生きた時代は、動乱の世であった。
他方①は、市民社会の倫理である。敵は敵として位置づけるにせよ、その絶滅までは要求しない。政治的には敵でも、この世は政治だけで成り立っているわけではない。価値は多様であり、各自の価値の多様性を尊重する相対主義。それは市民社会のロジックだ。
モンテーニュの相対主義は、ボルドー市長を務めたときに殊に強く発揮されただろう、と思う。行政マンには平凡な公平さが要求される。再選され、2期4年間を勤めあげたところを見ると、モンテーニュの均衡精神は歓迎されたらしい。一見不徹底で、矛盾して見えるモンテーニュの均衡精神は、極めて実際的であったのではないかと推測される。
□アンドレ・ジイド(渡辺一夫・訳)『モンテーニュ論』(岩波文庫、1939/1990復刊)
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