(1)本書の目次は、
Ⅰ
討議Ⅰ 『銀河鉄道の夜』とは何か
討議資料
なぜ<カンパネルラの死に遭ふ>か 銀河鉄道の彼方・序説 天沢退次郎
『銀河鉄道の夜』研究のための二つの資料 入沢康夫編
Ⅱ
討議Ⅱ 銀河鉄道の「時」 ふたたび『銀河鉄道の夜』とは何か
Ⅲ
関連レポート
『銀河鉄道の夜』覚書 天沢退次郎
「薤露青」解説 天沢退次郎
「青木大学士」の運命 天沢退次郎
黒インク手入れの意味 入沢康夫
『銀河鉄道の夜』の本文の変遷についての対話 入沢康夫
付録資料★筑摩昭和42年版全集所収『銀河鉄道の夜』(本文と後記)
(2)本書は、『銀河鉄道の夜』(以下『夜』と略する)をめぐって入沢康夫及び天沢退次郎が①1970年及び②1973年に行った2つの対談(詩誌「ユリイカ」に掲載)に若干のレポートを補足して構成される。
2つの対談で異なるのは、依拠するテキストだ。
①1970年の対談(討議Ⅰ)のテキストは、刊行済みの文献だ。すなわち、筑摩書房版全集(1967年)にもっぱら依りつつ(『銀河鉄道の夜』の本文と後記の全文を本書に付す)、十字屋書店版全集(1939年)、筑摩書房版全集(1956年)、岩波文庫(1950年)、岩波文庫改版(1966年)、「昭和文学全集14 宮沢賢治集」(角川書店、1953年)、「宮沢賢治童話全集6」(岩波書店、1965年)を参照する。
②1973年の対談(討議Ⅱ)では直筆原稿がテキストだ。
(3)宮沢賢治は、自作について推敲につぐ推敲を重ねる作家・詩人だった。短い生涯に多産だったし、推敲を重ねたから、『銀河鉄道の夜』にも誤字(「ハルレヤ」)があるし、原稿が欠落した箇所(ことに5枚分の欠落)もある。歴代の全集等の編集者は、彼らなりに解釈を加えつつ、まとまった作品として読者に提示できるように再構成してきた。
①討議Ⅰは、作品の読みを深める作業である。互いをよく知る前衛詩人にして仏文学者同士らしく、マラルメやブランショ等を援用しつつ、あるいはナボコフ『ヨーロッパ文学講義』のように読解に資する地図ないし列車内の乗車位置図を作成して議論を進める。しかし、多くはふつうの読者でも注意深ければ気づくような指摘だ。たとえば、ジョバンニが夢から醒めた終わり近く、ふいに、しかも初めて登場する「あのブルカニロ博士」の「あの」の言いまわしから、元の原稿にはブルカニロ博士が登場する場面があって、削除されたのに違いない、削除されたとすればこの箇所だ、などという推定だ。とはいえ、ふつうの読者と違って、天沢たちは、疑問を読み流さないで徹底的に追求する。この一歩の違いは大きい。
①討議Ⅰで提示された疑問、矛盾は、その後2人が直接原稿にあたることでほぼ解消された。原稿から2人が再構成した『銀河鉄道の夜』は、筑摩書房版全集(1967年)とは36箇所も異なる(改行、句読点、表記、ルビ等の異同は含まない)。
②討議Ⅱは、こうした文献批判をふまえて行われた。ペンの色(鉛筆も含む)、原稿の裏のメモ(別の原稿を含む)等の手がかりから、執筆順、執筆年代、賢治の意図を推定し、こうした作業から深められた読みが披露される。他の作品にも文献批判の手が及んだから、『銀河鉄道の夜』と他の作品との関連も同様の深みから読みこなされる。「あのブルカニロ博士」にしても、夢に出てくる「セロのような声」「講義した歴史学者」と三位一体であることが指摘される。
(4)付録の克明な資料や補足的な考察が、2つの濃密な対談に厚みを加えている。
『宮沢賢治の彼方へ』ほかの賢治論で斬新な洞察を読書界にもたらした天沢は、テキストの厳密な考証を通じて、地味ながらいっそう確かな考察を展開させた。同様に、入沢もまた。
念のためにいうと、本書のタイトルをなす『銀河鉄道の夜』とは何か、とは要するに、定稿はどれか、ということだ。いや、定稿という考え方は『銀河鉄道の夜』には当てはまらないらしい。原稿によって賢治の推敲の過程を綿密に追求した結果、『銀河鉄道の夜』には大きく4つの層があり、それぞれ固有の言語空間を構成することが明らかになったからだ。
(5)こうした綿密なテキスト・クリティークは『銀河鉄道の夜』以外にも及び、「校本宮沢賢治全集」(『銀河鉄道の夜』は第10巻に所収、筑摩書房、1974)として結実した。
さらにその後の研究の成果を踏まえて「〈新〉校本宮沢賢治全集」(『銀河鉄道の夜』は第9巻に所収、筑摩書房、1995)が刊行された。
□入沢康夫、天沢退次郎『討議『銀河鉄道の夜』とは何か 新装版』 (青土社、1990)
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