さて、お気楽たのしい~~メルヘンなウサギの島だぁ~
と思っていたのですが
実は大久野島は毒ガスの島でもあったのでした。
全然知らずに行ったのでした。
大久野島は周囲4キロほどの小さな島ですが、
明治以降、軍事的な要地として利用されてきた島で、今でも日露戦争前に造られた砲台跡や
先の大戦の時代の毒ガス貯蔵庫跡などが残されていたのでした。
大久野島に着いて、島で唯一の宿泊施設、休暇村大久野島に行くバスに乗りました。
休暇村まで7分足らずです。
無料です。
ウサギさんもいるのでゆっくり走ります。
途中、
「毒ガス資料館です。お下りの方はいらっしゃいませんか?」
と、バスの運転手さんがアナウンスしました。
え?
ドクガス資料館って????
毒ガスって???
しかも、かつては地図上から消された島でした
なんて言うアナウンスがあって驚きました。
毒ガス資料館
顔色を失くすジャイアン・・・・
そんな恐ろしいものが、この瀬戸内海にあったとは・・・。
毒ガス研究所跡
三軒屋毒ガス貯蔵庫跡
野ざらしタンク跡
長浦毒ガス貯蔵庫跡
川崎市の登戸研究所よりも、もっと多くの物が残されていました。
この島で毒ガスが製造されていたのでした。
この大久野島でも登戸研究所と同じ様に、風船爆弾も作られたみたいです。
驚きです。
ちょっと一息入れて
青い海~~~~~~~~~っっ
北部砲台跡
日露戦争前の1902年に設置された
火薬庫跡
北部砲台の弾薬や火薬の保管庫
毒ガス時代にも化学兵器の置き場として使われた
後にはアメリカ軍が朝鮮戦争で弾薬庫として使った
近くの水場でウサギが水を飲んでいました。
ウサギさんは島中、どこにでもいました。
発電所跡
恐い感じです。
廃墟です。
幽霊でそうです。
軍艦島みたいです。(←行った事ないのに想像で言ってます)
勿論中へは入れません。
立ち入り禁止です。
おとぎの国の様なウサギの島を想像して行ったのですが
思いがけず、そこは戦争遺跡の島だったのでした。
と思っていたのですが
実は大久野島は毒ガスの島でもあったのでした。
全然知らずに行ったのでした。
大久野島は周囲4キロほどの小さな島ですが、
明治以降、軍事的な要地として利用されてきた島で、今でも日露戦争前に造られた砲台跡や
先の大戦の時代の毒ガス貯蔵庫跡などが残されていたのでした。
大久野島に着いて、島で唯一の宿泊施設、休暇村大久野島に行くバスに乗りました。
休暇村まで7分足らずです。
無料です。
ウサギさんもいるのでゆっくり走ります。
途中、
「毒ガス資料館です。お下りの方はいらっしゃいませんか?」
と、バスの運転手さんがアナウンスしました。
え?
ドクガス資料館って????
毒ガスって???
しかも、かつては地図上から消された島でした
なんて言うアナウンスがあって驚きました。
毒ガス資料館
顔色を失くすジャイアン・・・・
そんな恐ろしいものが、この瀬戸内海にあったとは・・・。
毒ガス研究所跡
三軒屋毒ガス貯蔵庫跡
野ざらしタンク跡
長浦毒ガス貯蔵庫跡
川崎市の登戸研究所よりも、もっと多くの物が残されていました。
この島で毒ガスが製造されていたのでした。
この大久野島でも登戸研究所と同じ様に、風船爆弾も作られたみたいです。
驚きです。
ちょっと一息入れて
青い海~~~~~~~~~っっ
北部砲台跡
日露戦争前の1902年に設置された
火薬庫跡
北部砲台の弾薬や火薬の保管庫
毒ガス時代にも化学兵器の置き場として使われた
後にはアメリカ軍が朝鮮戦争で弾薬庫として使った
近くの水場でウサギが水を飲んでいました。
ウサギさんは島中、どこにでもいました。
発電所跡
恐い感じです。
廃墟です。
幽霊でそうです。
軍艦島みたいです。(←行った事ないのに想像で言ってます)
勿論中へは入れません。
立ち入り禁止です。
おとぎの国の様なウサギの島を想像して行ったのですが
思いがけず、そこは戦争遺跡の島だったのでした。