コダックの話しは、ウオールストリートジャーナル発だ。かなり確証が高い。昨年フジフィルムがフィルム等感剤部門を廃止すると日経新聞が憶測報道を飛ばした時とは全く違う。
誰がどう見ても、この株価では上場廃止で良くて任意整理だ。特許を売れたとしても買いたたかれるだろう。そしてなんとかなっても株式が上がらなければ自動的に上場廃止、自動的に任意整理に入る。
以外と特許数が少ないのが気になる会社だ。多分根本特許群なのだろう。
私が衝撃を受けた理由は簡単だ。
一番初めに使ったモノクロフィルムがトライXだったからだ。この後すぐに同じコダックのT-MAXになる。
この理由も簡単だ。トライXで撮影された恐ろしいまでのすばらしい写真が一杯あるのだ。ありすぎるのだ。この意味でもプラスXは禁避だった。同じ土俵にいるという事がすばらしいと思う人もいるかもしれない。でも私には恐怖にしか感じなかった。それほどの偉大な資産なのだ。
出たばっかりのT-MAXは、実のところ良く解らないで使っていた。なので現像多めでイマイチの事ばっかりやっていたように思う。
まだコダックは倒産していないし、フィルム部門が消えたという訳ではない。なので思い出話はここで終わろう。
私の衝撃は、故郷が無くなった瞬間だと言う事だ。
この感覚は解ってもらえるだろうか。少なくとも解ってもらいたいのは、写真史上の決定的な瞬間なのだ。そして映像史の決定的な瞬間なのだ。そしてそれを作った会社が消える瞬間なのだ。そして映像文化を創って発展させた彼らが消えるのだ。
私らカメラマンの現場では何かが壊れていたのは知っていた。私らは実需でデジタルに移行しなければ行けなかった。しかしそこではフィルムを使わないからコストがかかんないよネと、ダンピングかけられてしまい、どうしようもならなくなっていた。このグジャグジャの状況ではもはやどうしようもない。
写真のサービスそのもののありようが変わってきているのだ。
その中でフィルムから写真にプリントする価値や、そもそもデシカメデーターを写真に残す価値を伝えようとしても伝わらないのだ。映像と写真の違いは無くなっている。
それでも生き残って欲しい。写真を今のように作ったのがコダックだからだ。映画を作ったのもコダックだ。
誰がどう見ても、この株価では上場廃止で良くて任意整理だ。特許を売れたとしても買いたたかれるだろう。そしてなんとかなっても株式が上がらなければ自動的に上場廃止、自動的に任意整理に入る。
以外と特許数が少ないのが気になる会社だ。多分根本特許群なのだろう。
私が衝撃を受けた理由は簡単だ。
一番初めに使ったモノクロフィルムがトライXだったからだ。この後すぐに同じコダックのT-MAXになる。
この理由も簡単だ。トライXで撮影された恐ろしいまでのすばらしい写真が一杯あるのだ。ありすぎるのだ。この意味でもプラスXは禁避だった。同じ土俵にいるという事がすばらしいと思う人もいるかもしれない。でも私には恐怖にしか感じなかった。それほどの偉大な資産なのだ。
出たばっかりのT-MAXは、実のところ良く解らないで使っていた。なので現像多めでイマイチの事ばっかりやっていたように思う。
まだコダックは倒産していないし、フィルム部門が消えたという訳ではない。なので思い出話はここで終わろう。
私の衝撃は、故郷が無くなった瞬間だと言う事だ。
この感覚は解ってもらえるだろうか。少なくとも解ってもらいたいのは、写真史上の決定的な瞬間なのだ。そして映像史の決定的な瞬間なのだ。そしてそれを作った会社が消える瞬間なのだ。そして映像文化を創って発展させた彼らが消えるのだ。
私らカメラマンの現場では何かが壊れていたのは知っていた。私らは実需でデジタルに移行しなければ行けなかった。しかしそこではフィルムを使わないからコストがかかんないよネと、ダンピングかけられてしまい、どうしようもならなくなっていた。このグジャグジャの状況ではもはやどうしようもない。
写真のサービスそのもののありようが変わってきているのだ。
その中でフィルムから写真にプリントする価値や、そもそもデシカメデーターを写真に残す価値を伝えようとしても伝わらないのだ。映像と写真の違いは無くなっている。
それでも生き残って欲しい。写真を今のように作ったのがコダックだからだ。映画を作ったのもコダックだ。