どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

コダック

2012-01-06 04:07:51 | インポート
コダックの話しは、ウオールストリートジャーナル発だ。かなり確証が高い。昨年フジフィルムがフィルム等感剤部門を廃止すると日経新聞が憶測報道を飛ばした時とは全く違う。
誰がどう見ても、この株価では上場廃止で良くて任意整理だ。特許を売れたとしても買いたたかれるだろう。そしてなんとかなっても株式が上がらなければ自動的に上場廃止、自動的に任意整理に入る。
以外と特許数が少ないのが気になる会社だ。多分根本特許群なのだろう。

私が衝撃を受けた理由は簡単だ。
一番初めに使ったモノクロフィルムがトライXだったからだ。この後すぐに同じコダックのT-MAXになる。
この理由も簡単だ。トライXで撮影された恐ろしいまでのすばらしい写真が一杯あるのだ。ありすぎるのだ。この意味でもプラスXは禁避だった。同じ土俵にいるという事がすばらしいと思う人もいるかもしれない。でも私には恐怖にしか感じなかった。それほどの偉大な資産なのだ。
出たばっかりのT-MAXは、実のところ良く解らないで使っていた。なので現像多めでイマイチの事ばっかりやっていたように思う。




まだコダックは倒産していないし、フィルム部門が消えたという訳ではない。なので思い出話はここで終わろう。





私の衝撃は、故郷が無くなった瞬間だと言う事だ。
この感覚は解ってもらえるだろうか。少なくとも解ってもらいたいのは、写真史上の決定的な瞬間なのだ。そして映像史の決定的な瞬間なのだ。そしてそれを作った会社が消える瞬間なのだ。そして映像文化を創って発展させた彼らが消えるのだ。
私らカメラマンの現場では何かが壊れていたのは知っていた。私らは実需でデジタルに移行しなければ行けなかった。しかしそこではフィルムを使わないからコストがかかんないよネと、ダンピングかけられてしまい、どうしようもならなくなっていた。このグジャグジャの状況ではもはやどうしようもない。
写真のサービスそのもののありようが変わってきているのだ。
その中でフィルムから写真にプリントする価値や、そもそもデシカメデーターを写真に残す価値を伝えようとしても伝わらないのだ。映像と写真の違いは無くなっている。

それでも生き残って欲しい。写真を今のように作ったのがコダックだからだ。映画を作ったのもコダックだ。


謎な景気

2012-01-06 03:01:08 | インポート
私の周りでは、みんな不景気だ。そもそも私が不景気だ。
なのに昨年の暮れに、なぜか高額商品が売れているというニュースをみてもピンとこなかった。ロレックスやグッチが高い方から売れているというのだ。このニュースでは、震災で我慢したご褒美に買う人が多いと言っていたが、これは本当だろうか。
日本全体でも経済は上がってきているようだ。東北の有効求人倍率も上がっている。景気が上がっている指標は一杯あるのに実感しない。
なぜなのだろう。
これが正月が明けたら何となく解ってきた。初売りの福袋の売り上げがすごい事になっているようだ。これは実感としてよく解る。盛岡でもそうなのだ。しかも高い方から売れているようだ。
ここで何となく解っているのは、ご褒美とかそんなもんじゃない「ヤケクソ」消費があるのではないのだろうか。
刹那的な買い物があるのだろう。もちろん金持ちは持ち出せる資産として宝飾品や時計を買ったのだろう。しかし資産10億あっても1000万のロレックスが飛ぶようには売れない。100万のバックは買えない。
震災で、我慢してきたのは確かだ。落ち着いてきたから買い物というのはある。ただそれ以上に感じるのは、中に何が入っているのか解らない事になっている、福袋が売れた事だ。去年までは中に何が入っているのか解る福袋とかがあるまで売れなかったものだ。
イベントがあるときに刹那的な買い物をする、厄払いのような購入動機があるのだろう。
盛岡だけしか知らないが、あの質素なクリスマスでも商品は動いたようだ。
ただそれ以外の時期は、まったく不景気に思える。
人の心の振幅が大きくなっているのだろうか。あの死者の数だけでも、心が壊れそうになる。それを支えるための買い物なのかもしれない。
実は震災後、表現がストレートになる可能性を感じていた。ポップミュージックなんてそうだった。ただ領域ではないのでブログでは書かなかったが、これではっきりしたように思う。
コミュニケーションのあり方も変わるかもしれない。