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どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

今晩もカレー

2012-01-29 20:16:19 | インポート
今晩もカレーだ。
1週間以上カレーになっている。なぜこんな事になったかと言えば、月末で金がないからというのもある。しかしかなり紆余曲折している。
実は2週間前は、これはシチューだった。たまたまルーが特売で、鳥の胸肉も特売だったからだ。タマネギと人参もあった。そこで材料を入れたら大きめの鍋になってしまった。ちなみにちょっと薄味が好きなので、ルーは全部入れない。後ジャガイモを入れるのはおいしいけど、好きじゃない。
で1日目はフツーのクリームシチュー、二日目はチーズとニンニクを入れてコクを出した。3日目はカレー粉を入れてカレー風味にした。ちょっと残ったので材料と水を入れて、カレーにした。この時は特売の豚肉だったと思う。そして水を入れてスープカリー風に変化したり、トマトの缶詰が入ったり、タマネギだけを入れたり、昔買った特売のひき肉を冷凍していたやつとか冷凍カリフラワーを入れたり、ミックスベジタブルを入れたりして続いている。肉は入ったり入っていなかったり。新たに追加する方が少ない。足す時に、残りのクリームシチューのルーが入ったりとカオスの様相になっている。
なんでこんな事になっているのかと言えば、カレーが中途半端に余るから。一食分には多いがかといって2食分にはならない量が必ず残る。それでちょっと水を足したりしているうちにこうなった。おまけに反射式ストーブを使っているので、こういった手間なしの料理は、えんえんと続く事になる。
まだカレーは良い方だ。いざとなったら冷凍してしまえば良い。どうもその踏ん切りがつかないだけなのだが、以前同じ冬の期間、3年連続でオデンだった時もあった。オデンもチクワとかタンパク質ものが入っている時はまだいい。大根だけだったりもする。しばらくすると特売の具を買ってきていれる。たまに汁を漉し足りもする。出汁も追加したりする。
おとといみそ汁にまめご飯と納豆を食べた時は、なぜかごちそうに思えた。
本当の所、こうなるのは台所が寒すぎるからだ。もう立つのもおっくう。細かい洗いものが増えるのもイヤ。あと野菜がとても高い。今年の寒さのせいなのだ。
さて今日のカレーは特売の牛肩薄切り肉のカレーだ。久しぶりに肉が入った。

PS どんな具合化と言えば、


Dsc_3663


こんな具合。ニンジンが恐ろしくでかい。薄らと見えているのは目玉焼きです。


311以降の議事録

2012-01-29 03:12:09 | インポート
東日本大震災関連の、政府の会議議事録が作成されていないという話しがあった。
もうそろそろ世間では話しが落ち着いた思う。なのにちょっと考えたいと思っているのは私だけだろうか。
まず当然だが、議事録を作成していないのは法律違反だ。なので会議を運営する公務員には処罰があるのが当然だ。
政治家に責任があるか?無いに決まっている。議事録を作るのは政治家の仕事ではない。また法で定められているのを指示するのは政治家の仕事ではない。政治家の仕事は未来を作る為に、法を作ったり修正したりする仕事だ。そのために民意を集めて受けて、その仕事に適切な判断をする。それだけだ。
ただあの時の大混乱で、作成出来なかったというのはよくわかる。これはあり得る。だが同情出来ないのは、彼らがいつも法令遵守を唱えているからだ。
そこでやっぱり陰謀説が出る。議事録が無いのは、政治家が何かを隠したくて抹消したのではないのか。管前首相が一杯暴言を吐いているとか、枝野官房長官が「国民は私に睡眠を要求しているんです!」とか、スピーディのデーターをみてきれいだねと言った人がいるとか、4号機爆発の最悪事態のシュミレーションをみて、誰かが空気読めよ!とどなったとか、国外脱出ばかり考えていて「航空チケットがスムーズにとれるように」とか言っている人がいたりして、まあすごい事になっているのでしょう。ほとんど妄想ですが。
陰謀説は、官僚が意図的に失敗したフリをして議事録を捨てて、政府の顔を立てて貸しを作ると言ったもの。もう一つは、原子力ムラが意図的に隠蔽して政府に攻撃しているというもの。
どう考えてもあり得ない。そこまで日本の官僚は腐りきっていない。彼らの最も良くやる手段は、森に木の葉を隠す手法だ。法で決められた作業を隠す事は、彼らが最も嫌う事だ。なんというか車を運転している最中にシートベルトを外してしまったために検挙されてしまうのは、割にあわない。こんな事だと思う。
実はここから先が問題だ。議事録は無いし要約も無い場合、出席者からの聞き取りや資料提供で議事録を作るという事だ。
あの混乱の中で、確実に自分の発言を覚えている人がいるか。メモ等も集めて本当に再構成出来るのかどうか、まったく怪しい。再構成の中に意図が入り込まないのか?再構成された議事録は出席者に回覧されて、いろいろ注文がつくのだろう。その議事録は正しいのかどうか、解らないとなる。
再構成された議事録は、基本的に誰かの意図が入った2次資料でしかない。
さてここで議事録を考えたいのだが、フツーに考えれば議事録の再生なんて簡単だ話しだ。関係者に当たる必要も無い。テープ起こしでいいだろう。ICレコーダーなりで記録すれば良い話しだ。それがなんで無いのかという話しだ。
これはおかしいだろう。いくら何でもこの時代、検察だって全記録を始めようと言っているのに。
多分、速記記録を元にした議事録を作っているのが今までの慣例だったからだろう。速記記録だが、どんな早口でも紙に文字を残すという作業をする人がいるのだ。速記者以外は読めない文字が並ぶ。それでもこの作業は集中力を要求される仕事だ。長時間作業は出来ない。国会中継の時に議長の段の下にいる、机にしがみつくようにしているのが速記者だ。
速記者の仕事は、とても正確だ。ただしテープから起こされたものよりはニュアンスが無くなっている。速記者が定例文に直しているとも言われている。これは公文章特有の現象だろう。東京裁判の映像と音声と、速記者の書いた文章の違いが言われるが、速記者のが1次資料になる。
これはなぜだろう。昔は正確と言い切れる記録媒体が無かった。この時に速記という手法が生まれた。どうもローマ時代になりそうだ。文字はあるがテープレコーダーの無い時代、とにかく記録するための手法として出来たものなのだろう。
それがエジソンの蓄音機以降だが、音声は記録出来るようになった。ただそれが正しく聞き取れるかどうかが問題になったのだろう。やっぱり人が聞いて書き残したものが最上であるという結論になった。
現在でも国会などで、速記者がいるように、人が記録するという意味はある。とてもある。
機械ではない、人で保証されている。
少し論点がずれた。速記者の歴史的な意義と人というのはどういったものかというのも、速記者という特殊な職業を生み出していたのだろう。最後は人だと。
今回の記録が無い話しだが、会議がありすぎて速記者が回らなくなったというのが実際なのではないのだろうか。
公文章で重要な所では速記者が書いている。そして速記者が書いたものが議事録となっている。
多分これかと思う。
公文章での議事録は速記者で書かれるべきだ、と何となく官僚は思っているのだろう。他の技術は改ざんの怖れがあるので(エジソン時代では誤認の可能性がある)ということで、現在も続いているのだろう。
私は隠蔽や陰謀説よりは、公文章を作る時の規約が問題になってしまったのかと思う。速記者が足りなかった。これだけだろう。
ただ私には、今回の件は官僚の不手際よりも、もっと古い話しを思い出させる。
終戦の詔の後に、官僚たちが書類を焼きまくった事だ。丸の内では雪のように灰が降ったと聞いている。
記録を残すのはなぜなのか、考えてもらいたいものだ。
大多数は、記憶すらも残らないのだから。