どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

相模屋のザク・デザート仕様

2012-10-15 16:38:36 | 相模屋ザク豆腐等
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もうここまで来たら、やらねばならぬとなってきました。
まあ何がなんだか解りませんが。
この企画ですが、後3回くらいやろうと思います。とはいえどんどん世界観と離れてゆく私が何とも。
さて相模屋のザク・デザート仕様ですが、お豆腐プリンと言う商品は古くからある訳で、大体味も解っています。豆乳に砂糖を入れてバニラ風味にしたあの味、のどごしに大豆の青臭さみたいのが残るあの感じです。
さて始めに言ってしまいますと、大変結構なお味でした。思ったより甘くなかったのと大豆の香りが程よい感じです。ただちょっとバニラの匂いがきつかったです。


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パッケージから出すとこんな感じ。
さて今回カラー粉砂糖と言うのを買いました。青・赤・黄の三色入っています。これはコーンスターチに着色した物と粉砂糖を混ぜた物で、パステルカラーです。青と黄色を混ぜると緑になります。
今回これがあるから、豆腐プリンを買ったとも言えます。



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さて出撃です。ズゴックはあの型で、牛乳寒天を作りました。目の部分ですが、ペンチョコを使ったのですが、粉砂糖がついた部分にチョコがうまく乗りません。その前に寒天も豆腐もツルツルしているので、ペンチョコがうまく着きません。本当はへらで平に仕上げるつもりだったのですがあきらめました。ちょっとでも触ると落ちてくるほどですから。なので赤い目もテキトーになっています。


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ズゴックのアップです。えーっと自分で言うのもなんですが、ズゴックのアングルですが、この角度が一番気に入っています。ほとんどこの角度ですねぇ。あとサイドライト気味の灯りがベストと思います。


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ザクのアップです。すいません。目の部分手抜きしています。ムリです。いや確かに薄いチョコ板を作って、手で暖めながら丸めて付ける事も可能ですが、ちょっとそこまでしたら人生問題ないか?と止めました。
後ですね、豆腐なので触れないのです。通常の絹ごしより柔らかいですから。鍋用ズゴックにしてもちょっとピンセットがぶつかっただけで、傷が出来てしまいます。
もう少し緑を強くできるのですが、デザート仕様なので黄緑にしてみました。



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ザクは横顔もいいですね。となりのザクにしてみました。


愛国心と言う厄介なもの

2012-10-15 03:14:43 | インポート
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「愛国者は信用できるか」と言う本が講談社現代新書から出ている。これが左翼的ジャーナリストが書いたものだったらよくわかるが、鈴木邦男、一水会の創始者であり現顧問、たしか民族派でもっとも有名な右翼だ。
その彼がこんな本を書いている。丁度皇位継承権問題が起き、女帝の可能性も取りざたされていた頃だ。悩みも一杯あったのだろう。平易な文章で、晦渋さを求める向きにはイマイチかもしれないが良著だと思う。

さてこの本の中でもイロイロ言っているのだが、愛国心を測る基準がない。特に定性的なものを測る基準が無いのだ。なので定量にしかならない。毎日神棚を拝み宮城を拝もうが、その時斎戒沐浴していようが愛国者である事を証明するには、回数とか年月とか、今まで読んだ右翼的言説の書籍の数とか、そんな所でしかない。
なので声が大きいとか、身体がでかいとか、そういった所になってしまう。

全く個人的なのだが、「天皇陛下をお慕いする」という言葉は嫌いだ。「天皇陛下を尊敬する」ならまだ解る。実際尊敬される人物だ。3.11以降、特にあのビデオメッセージは凄かった。私もあのビデオには「怖れ畏まった」。


右翼も左翼も基本的に国が大好きだから、反対の事を言うだけだ。左翼は大衆を救うためには国家が変わらなければいけないといい、右翼は国家を救うためには国民が変わらなければいけない、といっている。ひっくり返せば同じ事を言っている。どっちも変わらないと行けないんだと。
ただそれでも愛国心とは、実に表現しにくいものだ。その前に個人では国を見渡す事が出来ない。なので象徴的なものに頼りがちだ。例えば日本の憲法改正論議だ。この議論は今回の事件で大きくなっているが、最高裁判所が憲法と法の齟齬をチェックする機能が弱すぎる点について、議論が全くない。つまり論者は、憲法改正ありきで話しを進めており、実際の法整備については無関心と言う、片手落ちになっているのだ。
最近ではドイツ連邦裁判所がEUの国債買い取りについて、条約批准は合憲だが制限があると言い切った。そういった判断を日本の最高裁はやらない所がある。憲法解釈と言うのは、実はこのドイツみたいな物だと思う。


次が重要なのだが、愛国心をもつためにはその国家が必要だと言うことだ。王国だったら王に対する意識が愛国心かどうかになる。宗教国家だったらその宗教が、部族国家だったらその部族のトップがいいかどうかにかかってくる。
近代国家の成り立ちではどうなのかと言えば、フランスが代表だろう。王権を市民がとりあげた事件がある。その後政体は変わるがブラッシュアップしていった歴史がある。イギリスも以外とそうだ。もの凄く時間をかけて進んでいるのでフランスのように鮮やかに見えないだけだ。アメリカはもっと進んでいる。フランスやイギリスを実は参照しながら、ローマ共和制を目指している。
市民が国を作ったと言う意識が無ければ、愛国心は本来ない。しかしここにも問題がある。ほとんどの国はそれを体験していない。ある国はクーデターで、ある国は内乱で、ある国は占領されて、出来ている。
実は日本や中国、韓国はそのあたりがとても曖昧なのだ。特殊なのは台湾だ。あそこはもともと独立意識が高い。清も日本も中央嫌いの彼らに手こずった。

話しをもとに戻す。
愛国は定量でしか判断できない。そして定性での判断が難しい。
そして愛するべき国の形が、どうなのかと言うのが本当に難しい。例えば日本の右翼は日本民族と天皇陛下の関係に求めるが、日本国籍で言うなら大多数は日本人なのだろうがアイヌ人や琉球人や朝鮮人もいる。第2次世界大戦中に愛国運動を立ったため目立たないが、本当はよく考えなければいけない問題だ。これが中国なら大多数が漢人だが55もの少数民族を抱える。チベットやウイグルはどう考えても中国ではない、それらをまとめるための愛国が必要になる。韓国はこの点大体韓国人なのだが、李朝の極端な儒教思想、なんつうーか天子の住まう平壌は清廉でなければいけないということで、犯罪者はもとより政敵まで辺境に送ってしまったもんだから、李朝末期には優秀な人材がかなりいなかったと思う。北朝鮮が威張っているのは平壌をもっているからだ。京城?それどこ?みたいな扱いはある。
そういった意味では韓国は3重にねじれている訳だ。
民族意識と言っても、本当にイロイロあるのだ。

国の形を民族意識にもってくるとか、歴史にもってくるとかそれは出来る。だが歴史は余りにも多い情報しか無い。それを編集する事が可能だ。おまけにその正史すら編集されている。つまり勝者の歴史だ。
じつはこれが更に厄介になってゆく。
歴史だが、研究と分析が進んだ今では、これってどうなの?と言う地雷があったりする。これはどの国でもそうだろう。例えば誰もが期待している中国の歴史認識における領土なのだが、最大は西にウイーンまで、東は朝鮮半島まで広がっている。この件は西が分家で独立してロシアになったのだが、これが最大だ。幸い中国では、これは異民族の元の領土であって、漢民族の領土ではないとしている。だがその根拠としている清王朝の領土は明らかに、満州族王朝の図版であって、漢民族の図版ではない。確かに漢民族の文化に満州族が取り込まれたという点ではそうかもしれないが、本質的には別物だ。

歴史と国土を考えてゆくと、揺らぎがある事が解る。近代までほとんどの国で国境は不明瞭だった。それが2度の大戦を経て、安定させた方がいいという方向に向かっている。戦争をして国土を減らしたり増やしているより、確定して内部を充実させるべきだと、どの国も考えている。もちろん内紛やその兆候を抱えている国家にとってはまだそこまでできない。だが間違いなく経済は一国で語れるような状態ではない。あのグローバル経済だ。
多国籍企業のためにあるような制度でもあるが、経済緊密化による国家の安定化という作用もあり誰もが歓迎していたのだが、最近ではちょっと待て、と言うようになって来た。グローバル経済は歴史の定めだった。資本主義社会では、成長が大切だ。株式会社はそれを義務付けられている。しかし国内独占は許されない。なので他国に進出する。この過程で国家を分解すると言う毒素までも解っていたのだが、実際ここまで国際金融が大きくなるまでは誰もが解らなかった、としか言いようが無い。

さて誰かが言っていたが、「愛国者は、ならずものの最後の手段」だったか、そういった内容だ。この場合のならず者とはどういった人だろうか。
実は高学歴者だ。これは日本も韓国も中国も同じだ。これが事情があって仕事にあぶれている人が多い。これはよく知られている。実際戦前日本の簑田胸喜なんてその典型だ。彼は高学歴だったが、2流の高学歴だった…。
彼がどのような仕打ちを国から受けたのか、忘れてはいけない。確かに過激だった。旧帝大教授を潰して回った。だが彼は見捨てられたのだ。

「ならずもの」というのはどういった人なのだろうか。明瞭に見えて不明瞭なのが民族であり国家だ。はっきりしているのは、豊かさが実感できる社会だ。それが今後暗くなると、いま時点で貧しいのに発展する可能性が無い閉塞感に、そう考える人が増えていると言う事だろうか。グローバル経済で何気なく自分の金が吸い取られているように感じ、反発するだけなのだろうか。

それは愛国なのだろうか。もっと高度な「憂国」にすらなっていない。

しかし愛国は当たり前の事であり、疑いも無い事だ。これは国家があって個人があると言う考えだ。だが現実には、国があって・邦があって・地域があって・家族があって、個人があっての国だ。
愛国者はこれをいとも簡単に無視する。個人はバラバラなのだ。バラバラがまとまってゆき社会を作っているのであって、上から出来ている訳ではない。彼らは上の最上でいないと、いけないと言う。


さて日本の愛国者に言いたいのだが、今一度頭山満先生に戻らないか。もちろん明治維新輸出とかはあるが、考えていることと、現在の日本のアジア外交は一致していると思う。
そして、過去の2000年を愛するのではなく、未来の2000年を考えるべきだ。いま生きている人は、間違いなく2000年前の人ではないのだから。


いまを愛せない愛国者と言うのは、本当におかしい。政治が悪いとかそういった話しではない。

なお愛国では無罪にならない。それは戦前の日本の歴史が物語っているし現在の中国でも起きている事だ。