大快晴です。気温も10度を超え、暖かい日でした。
高松の池にゆくと我が眷属どもが、大はしゃぎで出迎えてくれました。おかげで最近北側の岸に、ハクチョウが少ない。
オシドリも元気です。海洋堂のフィギアみたいですね。
カワアイサが泳いでいるとこんなにかっこいいのですが、下にはあのメタボ腹が隠れているのです。
このところマリス・ヤンソン指揮のショスタコーヴィッチの交響曲をヘビーローテしている。指揮もそうなのだが、作曲者の自虐というか諧謔がたまりません。ロジェストヴェンスキーの指揮の古典的な演奏でも多少感じられるのですが、本当ひねくれている。4番で大批判を浴びたので、4番の調を変えて中身もそれらしく手直ししてエンドを大幅に手を入れなおして、5番ができて大絶賛。調子こいてパッカッーンと明るく6番書いたら大批判、7番はレニングラード包囲網の中で書いたという落とし所があるにしても、どう考えてもパロディをそれらしくして、感動的な大4楽章でごまかしたら大絶賛。8番はひねくれまくってムチャクチャな曲を書き、9番で悟りを開いて思いっきり迎合した曲を書いて、10番から12番まで開き直った曲ばかり続き、そろそろ誰も何も言わなくなった頃に13番以降の難解というか、若い時にやりたかったことを全開でやるのだが、自虐グセがついたのか訳が分からなくなる。
まあそこが、曲の壮大さとのギャップで面白いのだ。飽きない。なおロックコンサートの撮影の直前に10番を聴いていたのだが、なぜかシームレスに移行できた。多分ショスタコーヴィッチの交響曲は本質的にポップス・ロックなのだと思う。ロシアンな、ね。
夕方に盛岡市民ホールで盛岡大学吹奏楽部の演奏会を聞きにゆく。飯島隆先生のラストステージでもある。エルガーのエニグマ変奏曲を選んでいた。少しこの楽団には荷が重い曲なのだが、見事に演奏した。
昔飯島先生に、「先生が振るとなぜ上手く聞こえるんですか?」と聴いたことがあった。彼は「私はごまかすのが得意なんです」そういってはいたが、実際アンサンブルを調整しつつ音楽を作り上げる能力はすごいものだと思っていた。
ただ音楽の世界では、ギフテッドとまでいかないけど、プラトンの流出論を考えてしまうことがある。飯島先生に対してはそう考えざるを得ない。この人から溢れる音楽がある。そういったものはある。
最近音楽で考えてしまうのは、その流出論のあたりだ。だが結論は出ていない。
鷺は哲学的な容姿の割に、何も考えていない。
快晴すぎて、放射冷却現象が起きています。気象庁の予想は0度でしたが、明らかに氷点下になるようです。
なむあみだぶつ。